真言密教―信仰、修行への道(河原龍靖)
 
第10部 天地のまこと(あめつちのまこと)
 真言密教の教理は大変難解と認識され密教信仰に感心をもたれる方は大変に少ないと思います。
 私は若い時、電子工学を一生の職業として学んでいました頃のことです。電子工学専門誌に、ある電子工学博士が、私達人間の目により物を見て認識する働きを、機械的にピンポン玉がある場所にあります。と認識させるには、実に天文学的コンピューターで膨大な三次元世界の計算を必要とする。このことから私達が日頃、目で無意識的に外界を見てこれは何々であると認識していることは、実はまさに宇宙的であると結論していましたことを記憶していまして。
 あるとき真言密教は即身成仏することを、根本教理とすることを拝見しまして、これこそ数多くある宗教の中で真実の宗教であると直感的に了解しましたこと紹介しました。凡人とおもっている人身が実は、御仏様に与えられた佛身である・・・・凡体即佛・・・は真実であると心に深く確信して信仰しますと、法の体験境地に入るのも早いと思います。
 たとえアパートの一室で密教一字禅・・阿字観修行していましても、大変不思議体験しテンカンに苦しんでいた子供が救われたことなど。

 ここで私が30代暇を見ては修行していました頃、高野山真言宗管長・中井龍瑞大アジヤリ様の密教の一字禅・・・阿字観の実習・・・がありました。大変分かりやすく、説明されていますので、紹介してみたいと思います。

*天地のまこと(あめつちのまこと)*
 阿字観というのは阿字の一字を念ずることである。その阿字は天地の誠(まこと)をあらわす一字の真言である。

  天地の誠は万物の根源であり、人生のよりどころであり、道の基である。およそ生きとし生けるもの、ありとあらゆるもの、見るもの聞くものことごとく、天地の誠から現れたものである。

  天地の誠は神秘きわまりなき宇宙の霊体である。定まれる形なくして、あらゆる形をそなえ、定まれる姿なくして、さまざまの姿をあらわすところの天地自然の不思議な大生命である。それは生きとし生けるものの生命の根源であり、万物の御親である。

  その恵みはすべてのものに及んで親疎の隔てなく、その命は三世常恒にきわまりなく、その光明はあまねく十方を照らしたもうがゆえに大日如来とよばれている。阿字は大日如来の一字の真言であって、この阿字を念ずることは大日如来を念ずることにほかならぬのである。