真言密教―信仰、修行への道(河原龍靖)
 
第2部

 先に紹介しました密教易業道に信を起こし信仰される方は、必ず甚深の教益が得られると私は確信しております。

古来密教の伝法は阿闍梨(あじゃり)による弟子への口伝が重視され、秘法をみだりに未灌頂(みかんじょう)の人に伝授してはならない。とされています。その理由として密教の法は法身佛(ほっしんぶつ)、大日如来の無上甚深の覚りが説かれた法門ですから、軽々しく伝授して越法(おつぽう)罪の咎(とが)をうけない為です。
つまり密教秘法には大きい力がありますから、軽々しく扱うと、両刃の剣の喩えの如く、その人が重い罪を受けることがあります。私もこのことについては細心の注意を払つて長年、伝法、御経文の勉強をし、一般の人々に勧めても間違いないと確信出来るまでに30数年を過ごしております。

御佛様には衆生救済の強い誓願があるのですから、まじめに信心する人に罪を与える等、
断じてありません。むしろ世の中の大多数の一般の人たちの中で、救済力のある宗教(真言密教)に、縁を得て修行し、自らの魂を浄化することによって、身体健全、頭脳明晰、子々孫々に家運増長などの多々のご利益を得るのです。

昔と違って、現代の人々は高い教育を身につけていますので、難解な論文も理解出来ると思います、また高遠な佛教理論を解釈してからの信仰が望ましいと考えます。そこで
纔(ざん)修(しゅ)一行(いちぎょう)成(じよう)多門(たもん)について本文の一部を紹介します。

五輪(ごりん)九字(くじ)明秘密(みよう)釋一卷(ひみつしゃくいつかん)
亦(また)は頓悟(とんご)往生(おうじょう)祕観(ひかん)と名く(なず)
興教(こうぎよう)大師(だいし)撰(せん)

竊(ひそか)に惟(おもんみ)れば二七の曼荼羅(まんだら)(大日真言アビラウンケン、・・阿弥陀如来真言オンアミリタテイセイカラウン)は、大日帝王(大日如来)の内證(ないしょう)(大日如来の覚(さとり))、弥陀(みだ)世尊(せそん)の肝心、現生(げんしょ)大覺(だいかく)(釈尊)の普門(ふもん)(法門)、順次往生の一道なり。所以何(ゆえいかん)となれば、纔見纔聞(ざんけんざんもん)・・(二七の真言の色塵(しきじん)の文字を見聞(けんもん)すれば文字般若(はんにゃ)の薰習力(くんじゅうりき)に依って阿賴耶(あらや)の心田(しんでん)に浄(じょう)菩提心(ぼだいしん)の新薰(しんくん)種子(しゅし)を植える故に罪障消滅して現世に利益を得ると云うなり。)・・の類は、見佛聞法(けんぶつもんぽう)をこの生に遂げ、一觀一念の流(たぐい)は離苦得楽(りくとくらく)を即身に果す。況(いわん)やまた信根清浄にして慇懃(いんぎん)に修行すれば、これ即ち大日如来の覚(かく)位(い)證(しょう)得(とく)を反掌(はんしょう)に取り弥陀善逝(ぜんぜい)の浄土、往生を稱名(しょうみよう)(真言念誦)に期(ご)す。稱名の善猶(ぜんなお)かくの如し。觀実(かんじつ)の功徳豈虚(あにむなし)からんや。顯教(けんぎょう)(釈尊の法門)には釈尊の外(ほか)に弥陀あり。密蔵(みつぞう)には大日即ち弥陀、極楽の教主なり。當(まさ)にしるべし。十方浄土は皆これ一佛の化土、一切如来は悉くこれ大日なり。毘盧(びる)弥陀は同体の異名、極楽、蜜厳(みつごん)(密教の極楽)は名異にして一處(いっしょ)なり。妙観察(みょうかんざっ)智(ち)の神力(じんりき)加持(かじ)を以(もっ)て、大日の体の上に弥陀の相を現ず凡そ是の如きの観を得れば、上諸仏(かみしょぶつ)菩薩(ぼさつ)賢聖(けんじょう)を盡(つく)し、(、)下世(しもせ)天龍鬼(てんりゅうき)八部(はちぶ)に至るまで、大日如来の体にあらざること無し。

これから先は専門用語がさらに多く難解になりますので止めます。本文に従って解説を加えてまいります。

五輪(胎藏界大日如来の真言、梵語で五字、アビラウンケン)

九字(阿弥陀如来の真言、梵語で九字、オンアミリタテイセイカラウン)

明(真言のこと)

頓悟往生(即身成仏のこと)

二七の曼荼羅(前記の大日如来の真言、五、+(プラス)、阿弥陀如来の真言、九、=(イコール)十四字になる。2×7=14、これを興教大師が二七の曼荼羅と名づけられたと思います。)

大日帝王(大日如来は諸仏の王、最も位の高い佛)

内證(大日如来の深秘霊妙な覚りの全て)

弥陀世尊の肝心(阿弥陀如来誓願の最も大事とするところ)

現生大覚(釈尊のこと)の普門(お釈迦様の全ての教え)

順次往生の一道(熱心に信仰することにより往生する一つの道)

纔見(ざんけん)、纔聞(ざんもん)・・(・・・)内は大変難解な説明文となっています。二七の真言とは(大日、弥陀の真言)の色塵の文字を見聞すれば(真言)そのものに深秘な佛の覚りの全内容が込められている佛様の言葉ですから見る、耳根に聞くことに対しても大いなる功徳力があり(文字般若の薫習力に依って)、真言の深秘なる光明に耀く知恵の力が薫りずけされることに依つて阿頼耶(あらや)(阿頼(あら)耶識(やしき))・・(過去、現在世の行為が記録されている深層意識)の心田に浄菩提心の新薫(しんくん)種子(しゅし)を植える故に(魂の深層を心の田に喩え浄菩提心の新しい種子を植える意)罪障消滅して現世に利益を得ると云うなり。

・・の類は、見物聞法をこの生に遂げ(開経偈(かいきょうげ)に無上(むじょ)甚深微妙(じんじんみみよ)の法は、百千万(まん)劫(こう)にも遭い遇うことかたし、われいま見聞し受持することを得たり、願くは如来の真実義を解したてまつらん・・と示されますように、無上の覚りを成就した如来(佛)に遭遇し微妙(みみよ)の法を聞くことは極めてまれである。しかし、二七の真言を念誦信心する人は見佛聞法を自らの一生に遂げることが出来ると断言しているのです。)

一觀一念の流(たぐい)は離苦得楽を即身に果す(唯一行一法を信心する人々は人生苦を離れ幸いを現在世に果たす)

況(いわん)やまた信根清浄にして慇懃に修行すれば(佛法に信心を起こす人々は既に心清らかなのです・・逆に仏縁なき衆生は度し難しと云われ、釈尊の仏伝に佛の妙相を示しても信心を起こしえなかった人物のことが記されています。)

慇懃に修行すれば、これ即ち大日如来の覚位證(かくいしょう)得(とく)を反掌(はんしょう)に取り(大日如来の覚りを成就することは難しいことではない意、で大変大胆なことを宣言しています。このことついては弘法大師の師匠恵果(けいか)和尚(かしょう)(中国の人)、密教伝法七祖の言葉に冐地(ぼうじ)(覚り)の得難(えがたき)にあらずこの法(密蔵)に遇うことの易(やす)すからざるなりと仰せられています。)

弥陀善逝(ぜんぜい)(如来)の浄土、往生を稱名(しょうみょう)(念仏)に期(ご)す(阿弥陀如来念仏による佛果(ぶつか)で浄土往生を果たす)

稱名の善猶(ぜんなお)かくの如し。觀実(かんじつ)の功徳(くどく)豈虚(あにむなし)からんや。(佛の威徳を観念し真言念誦の功徳は虚しくはない)

顕教(けんぎょう)(釈尊の法門)には釈尊の他(ほか)に弥陀(みだ)あり。蜜蔵(みつぞう)(真言密教)には大日即ち弥陀、極楽の教主なり。當(まさ)にしるべし十方浄土はこれ一佛の化土(けど)、一切如来は悉(ことごと)くこれ大日なり。
毘慮(びる)(大日如来)弥陀は同体の異名、極楽、蜜厳(みつごん)(密教の極楽)は名異(なこと)にして一處(いっしょ)なり。

妙観察(みょうかんざつ)智(ち)(弥陀の内証・・一切万物の本来、清浄性(しょうじょうせい)と知恵性(ちえせい)を悟る知恵)の神力加持(佛の威徳力で力添えする)を以て、大日の体の上に弥陀の相を現ず凡(およ)そ是(かく)の如きの観を得れば、上諸仏菩薩賢聖を盡し、下世天龍鬼八部に至るまで、大日如来の体にあらざること無し。

ここで大日如来とはどのような佛さま?少し説明致します。大毘盧(だいびろ)遮那(しゃな)如来(にょらい)(梵名(ぼんみょう))大日如来(日本名)太陽の如く光り輝き一切の生命を育み創造する広大な徳を有する。宇宙法身佛、(智山派学者那須政隆先生の説では宇宙万有の縁起的創造の根本原理なる宇宙法身にして万物の縁起的創造によって自らを原成している。)

一方、高野山学者栂尾祥雲(とがのうしょうん)先生の釈尊の成仏、縁起の法についての解説について紹介しておきます。

いまを去る二千五百有余年前、インド迦毘羅(かぴら)(Kapila)城の主、浄飯(じよぼん)大王の長子として生まれたる釈尊が、六年苦行の後、摩掲陀国(まがだこく)における尼連禅河(ないらんじゃな)の辺り、伽耶(がや)の畢(ぴっ)波羅(ぱら)樹下(じゅげ)に端座(たんざ)思(し)惟(ゆい)して臘月(ろうげつ)(十二月)八日、明星東にあらわれるころ、豁然(かつぜん)として大悟(たいご)し無上正(こよなきただ)等(しき)正覚(さとり)を体得して仏陀とならたのである。これが釈尊の成道(じょうどう)であり、成仏である。

ここまでの文面でも大変高遠な仏教哲理が説かれています。ここで私は皆様に密教教学を解説出来るほどの学問は修めておりません。高野山大僧正、高野山大学教授の密教講義には熱心に出席し、又自らの長年の修行による神秘体験(神通体験)に基づいて私はこの様に解釈出来るのではと思い、説明出来る部分だけを記してみました。