真言密教―信仰、修行への道(河原龍靖)
 
第1部 宇宙の救済者・大日如来
昨今は密教ブームということで、私のところへも直接、電話してくる若い人がけっこういます。密教が若い世代の心をとらえたのは、彼らのあいだで流行しているオカルト趣味と波長が合うからでしょう。確かに、密教には呪術的側面があり、マンダラには謎めいた要素があります。みなさんも、一度はマンダラを見たことがあるでしょう。唯一神を信仰するキリスト教やイスラム教とちがって、仏教には無数の仏さまが存在します。マンダラはたくさんいらっしゃる仏さまの位置関係を示したもので、これで宇宙の姿を表現しています。真ん中に大日如来がいらして、それを中心として、仏、菩薩、明王などが放射状にならんでいる様は圧巻です。仏さまが救わなければならない衆生の数はかぎりがありません。したがって、仏さまもそのぶんだけ数限りなくいらっしゃるというわけです。

密教で、これら諸仏諸尊を四つのランクに分けています。第一が大日如来や阿弥陀如来などの「如来」(仏)で、第二が観世音菩薩や弥勒菩薩といった「菩薩」、三番目が不動明王や降三世明王などの「明王」、そして最後が「天部」で帝釈天、毘沙門天、梵天、大黒天、聖天(歓喜天)といった仏さまです。大日如来は、宇宙の普遍的な真理を体言している仏さまです。語源は「偉大なる光り輝くもの」で、「仏のなかの仏」といわれ、数多ある仏さまの頂点に立っています。仏にしろ菩薩、明王にしろすべては大日如来の化身なのです。時間と空間を超越し存在し続け、しかも姿・形をもたず、宇宙にあまあねく満ちている無限の大生命力です。宇宙そのものが大日如来の顕現ですから、この世に存在するありとあらゆるものが大日如来のあらわれなのです。

こうした密教の宇宙観について、抽象的すぎると思う人もいるでしょう。近代合理主義に毒された現代人は、肉眼や耳、鼻、舌といった体の五感で感ずる物質だけが実在であり、見えないものは存在しないのだと考えます。しかし、そうした考え方はまったくの見当違いといわざるを得ません。五感の感覚を超えたところ、いわば見えないところにこそ、無限の実在が充満しているのです。仏教ではこれを「一切衆生悉有仏性」(生きとし生けるものはすべて本性は仏である)といい、密教ではさらにすすめて「草木国土悉有成仏」(ありとあらゆるものはすべて仏になる)とします。大日如来はいわばユダヤ教のヤハウェ、キリスト教のゴッド、イスラム教のアラーのような存在ですが、「宇宙の創造者」というより「宇宙の救済者」といったほうがいいでしょう。人間のまだ生まれないはるか昔から、ずっと永遠の未来にわたって存在し、人間のみならずこの宇宙に存在する生きとし生けるものすべてを救済せんとする救済の宇宙意識なのです。

宇宙とは外の世界、私たちを包む世界だけのことではありません。自分の内側にも宇宙はあるのです。既に述べた通り、宇宙全体は大日如来そのものですから、私たち人間の大日如来の生命が「ヒト」の形としてあらわれたものにほかなりません。すなわち、宇宙を大宇宙(マクロ・コスモス)とすれば、私たちの体は小宇宙(ミクロ・コスモス)といってもいいのです。誤解をおそれずにいえば、密教は宇宙生命の宗教です。内なる宇宙を無限大に拡大して大宇宙と一体化して、宇宙の根源の神秘に到達する―言い換えれば、自分は宇宙生命の一部であると同時に、自分が宇宙そのものであると感じられる―これこそが真言密教の本質です。それを端的に言い表したのが即身成仏という言葉です。即身成仏とはこの身このままで仏となる、ということですから、無限なる宇宙エネルギーと深く共鳴し、本来もっている宇宙的な自我や潜在能力を発揮することが出来るようになります。


仏性を引き出す三密加持

では、いったいどうすれば、即身成仏できるのか、どのような方法をとればそれが可能になるのか、そのノウハウは?それが「三密加持」と呼ばれる修行です。加持というのは密教特有の言葉ですが、弘法大師は「即身成仏義」でこう解説しています。

「加」とは如来の大悲
「持」とは衆生の信心

カミナリは雲のなかのプラス電気とマイナス電気が互いに引き合うことによって生まれます。「加持」とはそのようなものと理解してください。人びとを救いたいという仏さまの心と、永遠の安心を求める行者の心がスパークするとき、落雷のようなとてつもないパワーが生まれるのです。

なぜ三密なのかといえば、仏教では生命現象はすべて身体、言語、心の三つのはたらきから成り立っているとみるのです。大日如来のはたらきかけもこの三つからなっています。密教では、ですから、大自然の森羅万象を大日如来の象徴とみるのです。しかし、大日如来のはたらきは私たちにうかがい知れないほど微妙で奥深い、すなわち秘密とされるので、「三密」というわけです。
具体的には、身(手)で印契し、口に真言を唱え、意(心)に本尊を念じて祈ることですが、この三密加持によって、私たちは宇宙の根源の神秘に迫ることができるのです。弘法大師は「秘蔵宝鑰」の序文でこう書いています。

「もし真言行者あってこの義を観察して、手に印契を作し、口に真言を誦し、心三摩地(妄念を離れ、心が静寂な状態になること)に住すれば、三密相応して加持するが故に、早く大悉地を得(願いごとがかなう)」

三密加持することによって、どのような願いごともかなうというのです。私はこの言葉を固く信じています。言葉を代えていいますと、三密加持は私たちに本来そなわっている仏性を引き出す修法なのです。仏性とは、仏さまと同じ心をもち、同じ能力をもつということ。仏さまの力は無限ですから、仏性もまた無限の力をもっています。つまり、仏性を引き出すことで、数々の奇跡、不思議を生み出すことができる―弘法大師はこういっているのです。

「あなたのもつ無限の可能性に早く気づき、それを開発しなさい。そして、それによって人生を成功に導きなさい」

密教は自己改革の哲学でもあるのです。

現代の人々は日々の生活が大変繁忙な為、神仏を信仰することが難しい中、心の拠り所として神秘体験、運勢好転、心身健全、因縁消滅など、自ら密教を信仰したいと希望する人々がおられます。密教は難解である事から、そうした志しに応える事は容易ではありません。私自身長年の密教修行の神秘体験による経験から、仏様の教えを深く信じ熱意さえあれば、こつこつ熱心に信仰することにより悟りがひらかれると確信しております。


密教易行道・「一印一明一観」の実践

すでに述べた通り、密教における修行とは「三密加持」を実践することです。すなわち、手で印を結び、口で真言を唱え、心で本尊を念じて、仏様と一体となる努力をしていくことです。とにかく修行というと、山ごもりしたり、滝に打たれたり、座禅を組むといった行為を連想しがちですが、荒行は密教の本質ではありません。ただひたすら仏を信じて仏さまの説かれた法、教えを守り、一心に真言を念誦すれば、それが加持祈祷の実践となります。これを仏教では「易行道」といいます。だれもが簡単にできる修行法です。弘法大師亡き後、荒れていた高野山を復興し、新義真言宗を興された興教大師覚鑁は、論文集「五輪九字明秘密釈」のなかで、「一印一明一観」といっています。

「衆生の根機(素質のこと)種々不同なり。一門一尊(一つの本尊)の三昧に入って、一印一明一観にして悉地(悟りのこと)を成ずるあり。正、像、末の異を論ずることなくこれを修する時、これすなわち正法なり…」

仏教にはいろいろな行法があるが、そんな複雑なことをしなくとも、一つの印(お不動さんなら、お不動さんの印)を結んで、その真言を唱え、それを本尊として心に念じる、その行法だけで成仏できるという意味です。一印一明一観。弘法大師の教えをよりわかりやすく述べ、みごとに密教の本質をとらえた言葉です。

それではなぜ一つの真言を念誦して成仏できるのか。真言は大日如来の神秘霊妙な深い悟りの内容を梵語に封じ込めた真実語、如義語、不妄不異の言葉、仏様の言葉です。弘法大師は真言を毎日唱えなさいといっています。

「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千理を含み、即身に法如を証す」

真言を唱えると、心の汚れや心の闇が取り払われ、はかり知れない多くの理法が身につく、というのです。弘法大師はまた、「当に知るべし、真言の果ては悉く因果を離れたり」(「即身成仏義」)ともいっています。真言の功徳は因縁の法則を超越している、と。なんともありがたいお言葉です。密教では、ですから真言を重視します。真言こそ、最大の因縁解消法といえるでしょう。

真言を唱えるのは、三密加持のうち「口密」に当たります。真言とは一種の呪文で、サンスクリット語(梵語)ではマントラといいます。真言よりもちょっと長めの文句を陀羅尼(梵語ではダーラニ)と呼び、二つをいっしょにして「真言陀羅尼」ともいいます。真言は仏さまの悟りの世界を、わずか十字とか二十字とかの短い言葉に凝縮していますから、真言陀羅尼を唱えることによって、私たちは大宇宙(仏)のエネルギー情報を取り込むことができるわけです。真言は無数にありますが、たとえば、大日如来の真言(金剛界)は、「オンバザラダトバン」です。これだけでは、なんのことかさっぱりわかりません。しかし、わからなくてもいいのです。もともと、真言陀羅尼は、災いを除き福を招くための呪文だったのです。このような呪文を唱えて、密教では精神統一をはかります。真言は丸ごと信じて唱えること。信じる力は実在する力(エネルギー源)なのです。

私達は神仏の子として尊い生命を頂いてこの世に生まれているのですが、果たして皆幸せに暮らしているのでしょうか。昨今の世相、家庭内暴力、登校拒否、小中学生の非行等、どうしても異常としか思えないことを多く耳にします。私は長年真言念誦行による体験から、昨今の若者達の心の病いの原因の相当部分に、魂の奥深くに潜む魂の穢れによる影響があると思います。心の病いに苦しむ人々は長い間、本人とともに家族も悲惨な家庭生活を強いられていると聞きます。私はこの様なお話しに、真言密教にはこの様な難問も熱意と努力により解決する「法」があるといつも思っておりました。そうして行き着いたのが、一印一明一観を専心して修して、良く悉地を成就する「密教易行道」です。

一般の方で密教易行道に興味を持ち自ら信心を志す方は、在家勤行法則に従って下さい。特別な祭壇はいりませんが、なにもないより観念する仏さま(仏像)でもあったほうがいいでしょう。仏壇、仏像がない人は、掛け軸でもけっこうです。花の一輪でもさして、それを道場とみたてて心を静めて行ってください。注意として、お経、真言は仏様の尊い悟りを表現した言葉ですから読経をはじめる前に手を洗い、口を漱いで下さい。


【佛勤行集】

○合掌礼拝
恭しくみほとけを礼拝したてまつる
○懺悔
無始よりこのかた貪瞋痴(とんじんち)の煩悩にまつわれて身と口と意との造るところのもろもろのつみとがを悉く懺悔したてまつる
我昔所作諸悪業 皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生 一切我今皆懺悔
○三帰
弟子某甲 尽未来際
帰依佛 帰依法 帰依僧
○三竟
弟子某甲 尽未来際
帰依佛竟 帰依法竟 帰依僧竟
○十善戒\r
弟子某甲 尽未来際
不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語
不悪口 不両舌 不慳貧 不瞋恚 不邪見
○發菩提心真言
オンボウジシッタボダハダヤミ
○三摩耶戒真言
オンサンマヤサトバン
○開経偈\r
無上甚深微妙法 百千万却難遭遇
我今見聞得受持 顧解如来真実義
○般若心経(一巻)
○大日如来真言
アビラウンケン(初心の人は五分間・慣れたら念誦の時間を伸ばす)
○阿弥陀如来真言
オンアミリタテイセイカラウン(初心の人は五分から)
○光明真言
オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン\r
先祖供養に大変功徳力がある真言です。「若し衆生あって、この大灌頂光明真言二、三、七反を聞て耳根に経ることを得ば、即ち十悪五逆四重等の諸罪を除滅することを得ん」と経文に説かれています。

紹介しました密教易行道に信を興し信仰される方は、必ず甚深の教益が得られると私は確信しております。

古来密教の伝法は阿闍梨による弟子への口伝が重視され、秘密をみだりに未灌頂の人に伝授してはならないとされています。その理由として密教の法は法身仏、大日如来の無上甚深の悟りが説かれた法門ですから、軽々しく扱うと、両刃の剣の例えの如く、その人が重い罪を受ける事があります。私もこのことについては細心の注意を払って長年、伝法、御経文の勉強をし、一般の人々に勧めても間違いないと確信出来るまでに30数年を過ごしております。御仏様には衆生救済の強い誓願があるのですから、まじめに信心する人に罪を与える等、断じてありません。むしろ世の中の大多数の一般の人達の中で、救済力のある宗教に、縁を得て修行し、自らの魂を浄化することによって、身体健全、頭脳明晰、子々孫々に家運増長などの多々のご利益を得るのです。