第7講/『嚴秘必験祈祷法』より【稲縄智羅天法】詳解

 稲縄智羅天法は、先の勝軍地蔵法と同じく片供の次第となっています。筋立てはほぼ同じですので、勝軍地蔵法の解説を参考にして下さい。


先ず訂正をしなければならない箇所があります。まず次第の26ページのカタカナで書かれた「リヨメイシンモン」を「慮命神聞」に、そして28ページの「リヨメイ」は「虚名」で「きょめい」の過ちです。

秘歌印の処で、「其ノ日ノ方ヘ吹拂フ」とあるのは十二支で表された方位の事です。暦などを見ますと、毎日に十干と十二支を組み合わせが割り当ててられれています。この組み合わせの中の十二支が「其ノ日ノ方」となります。子から始まり亥で終わる十二支は北から始まり時計回に時刻と同じ位置に配置されます。拂い方としては、秘歌を詠んだ後、秘歌印を三回左転します。この時に其の日に割り当てられた十二支の方位を拂うと観想します。

請車輅は真言を一回唱える度に両親指を三回来去させます。真言は三回となえますから、親指の動作は合計で九回となります。密教的作法にはこの様に合わせて九回作法を繰り返す事がよくあるのです。九とは苦と解し縁起が悪いとする方もおりますが、九とは陽が極まる数として用いられます。その意味においては、動作や作法などの成就的な意味が込められている事を理解して下さい。 


振鈴は勝軍地蔵法の詳解を参考にして下さい。

内縛印または内縛と記されている31㌻から32㌻の所作について説明します。最初の伏礼とは会釈よりやや深い程度に頭を下げます。小指を立て合わせ、また内縛し、そして親指を立て合わせ、そして中指を立てる一連の動きは、行者と本尊とが次第に対峙していく過程を表します。先ずはお招きした本尊の気配を一番外側となる小指に込め会釈します。そして正に目の前までいらしたと観想して内縛し深く頭を下げるのです。そして一番手前の親指を立て本尊と向かい合う事になります。そして立てた中指を眼前まで近づけ、本尊との一体化を観念する事となります。

再び請車輅を行い、弾指を切ります。右三回、左三回と指を弾きます。左側を一回弾指する毎に真言を一遍、合わせて三編唱えます。そうして次に結ぶ大天狗印はまさに、大日如来が大天狗の変じて稲(飯)縄権現となったとされる姿を表します。こうして最終的に本尊のお迎えが叶った事になります。

ところで、飯縄権現の真言は「ヲン チラチラヤ ソワカ」ですが、稲縄智羅天法には、この本尊真言がありません。私はこれまでの実践から、五大尊咒を金剛合掌で唱えた後に、大天狗印を結び「ヲン チラチラヤ ソワカ」を唱えています。

飯縄権現は地蔵菩薩や不動明王に化身し(またはその逆と考えても良いかもしれません)、衆生を済土へと導くとされています。次に地蔵印と六地蔵印を結び秘歌印を挟んで、正念珠で慈救咒を唱えるのは、そうした意味が込められています。
            


37ページの送車輅は、私は弾指で行っております。また下禮盤の「弓ハ…」は、下りる際の一種の唱え言葉として誦しております。

何度か申しておりますが、厳秘必験祈祷法の行法は、正式に加行を修めた密教僧の為の行法ではありません。ですから純密の作法は、詳解の中でも取り入れていません。簡易な作法で真剣勝負していた先徳の方々の心意気を体感して頂きたいと存じます。しかしながら個人の資質に依り、密教作法を加える工夫は各自必要である事は言うまでもありません。

この稲縄智羅天法と関連して、羽田守快先生から頂いた次第のコピーの中から、「飯綱十三願之法」を紹介します。頂いたコピーは関東の修験の次第集らしいという事です。「秘法集・全」との和綴じの古文書に奥書には「二社山大権現什物」と記されておりそれ以上の詳細は分かりません。私が「飯綱十三願之法」を紹介する趣旨は、飯綱の十三の請願に対応する印と真言が明記されているからです。以下、その箇所の次第をそのまま読み下します。

飯綱十三願之法
先護身法九字 如常
次不刀杖法 内五古印 ヲン 智羅々々 ソワカ
次生気味和合法 外五古印 ヲン ハヤテイ ソワカ
次妻子眷属和合法 日輪印 ヲン アビラウンケン ソワカ
次虚名口舌方 不動剣印 ヲン ハギャラタンヤ ソワカ
次戦場利徳法 外縛印 ヲン ハルダヤ ソワカ
次勝沙汰論法 外縛印 ヲン ボリセンソワカ
次安敵滅法 智拳印 ヲン ウンケイアキ二ヲンモリ ソワカ
次病延命法 定印 ヲン ホリキャ ソワカ
次領持田畠法 焼香印 ヲン ホソチヤ ソワカ
次先火盗賊法 外獅子印 ヲン ダイヅラダッタ アルマヤ 天狗 スマンギ ソワカ
次七珍満寶法 内獅子印 ヲン ケイヒラ ケイヒラ ソワカ
次福祐満足法 三古印 ヲン ヒラ ヒラ ソワカ
次除呪詛悪霊法 無所不至印 ヲン イタラ イタラ ケンウン ソワカ
次拍掌弾指

次第書や行法をご覧になり、「これは地方の行法だ」などと言って切り捨てる方がおいでです。かつては、行者が個人個人で研鑚を積み、その土地や寺院で地方色豊かな作法が修学法されていました。当地でもそうした名残が微かに残っている作法を伝えている行者さんがいらしゃいます。本山でのシステム的な行法は完成されている次第としての存在はあるでしょう。しかし、その土地には、その土地ならではの神仏が宿り、特有の気が沸き立っています。そうした森羅万象に目を向けた先徳たちの、心に触れたいと思いませんか?私は駆逐された末派の行法に、今は失せた祈りの心を見出したいと思っています。