第2講 破地獄作法について

 いまテレビでは、因縁話による悪霊や怨霊などの浄霊が旬の様です。こうした事を取り上げるメディアやその出演者たちの事の良し悪しは、後に論じるとして(だだ一言だけ言わして頂けるならば、宗派を問わず信仰とは隠者の領域に属するもと信じております。その隠者がメディアに露出する事は、後に相当の影響をその宗教家が受けるであろうという事です。)そもそも、浄霊や供養を行う宗教家は、あたり前の様ですが、神仏を強く信じ、極楽往生を願う菩提心が無ければ話になりません。
 破地獄の文(または偈)と云われる経文がいくつかあります。その破地獄の文としてよく知られる自我偈の最後の四句「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身」、そして大経の往覲偈にある「其佛本願力 聞名欲往生 皆悉至彼国 自至不退転」は、いずれも御仏の教えと功徳の偉大さを説くものです。これらの経文は、多くの宗派で葬式の際に唱えられたり、書かれてお棺に入れられています。破地獄は亡者や悪霊(個人的には、霊には悪はないと思うのですが)を地獄に落とす作法であると勘違いしている方も多くいる様ですが、御仏の教えと功徳でホトケの極楽往生を果 たすものなのです。
 こうした事を踏まえて頂いた方に、以下の破地獄作法を公開する事にいたします。


破地獄作法

先大独鈷印にて
アビラウンケン

 
次五色光印
ヲン アミリタ テイゼイカラ ウン
 
次梵篋印
ヲン アミリテイ ドハベイ ソワカ
 
次剣印
ヲン サマユカン マカ サマユカン
 
次観音印
ヲン アロリキャ ソワカ
 

  先ず自身が漆黒の冥府の真上に居ると観想します。「アビラウンケン」を数回唱え、充分に気が満ちたと感じたら、「…ケン」と唱え終えると同時に、大独鈷印を突き落とし、冥府に穴を開けると観じます。
 次に五色光印を結び、弥陀真言(代りに光明真言でも可能です)を唱え、先ほど開けた穴から五色の光を冥府に注ぎ、弔う霊を引き寄せます。 そして次梵篋印と真言を唱え、御仏の教えと功徳を説いて聞かせるのです。この時、先に上げた破地獄の文(または偈)を加え唱えれば、なお良いでしょう。
 次に剣印で真言を唱えながら、冥府に開けた穴の周辺を突き崩し、地獄を破るのです。実際に剣印を何度も眼前に突き出し、観想が練れるまで何度でも繰り返します。
 そして観音印と真言で、地獄から弔う霊を引き上げます。この時、光に包まれた霊が極楽世界に昇って行く姿を強く意識して下さい。
 最後に更に光明真言や随求陀羅尼、または本覚讃を唱えます。
 この一連の破地獄作法は、当然、護身法などの身固めを行い修法する訳ですが、私の場合は単独で用いる事はありません。多くの場合は線香護摩の中に組み込み用います。この法を授けてくれた阿闍梨は、十一面 法の中で本尊印の後に修法していました。いずれにしてもこの法を用いる場合は、それなりの緊迫した場面 であり、よほどの覚悟が伴います。単なる作法だけを行うのではなく、純粋な菩提心を持って臨む事です。少しでも心に隙があれば、必ず障碍を受ける事になります。
 一つ間違えば危険なこうした作法に頼らない浄霊の方法もあります。破地獄の文(または偈)や本覚讃を唱えるだけでも、至心に供養する気持ちがあれば浄霊は可能です。実際、こんな事がありました。私はこの十年程、羽黒修験の峰中行に参加しています。毎年の峰中行で勤行や就寝の際に、必ずといってよいほど、霊が憑依する方がおります。こうした時に、大先達が耳元で繰り返し静かに唱えるのが本覚讃です。これで、大抵の憑依現象は治まります。 本覚讃とは「我々には本来仏の法身、報身、応身という三身が備わり、金剛三十七尊が心に住している。そうした既に覚っている内なる仏、法身に帰依するのだ」という内容の大変短いお経です。羽黒修験の先達衆が持つ金剛杖には必ず書かれています。天台の本覚思想の源をなす重要経典であり、葬式や法事の際には必ずと言ってよい程、唱えられています(釈迦に説法ですよね)。何も密教的作法にとらわれなくとも、御仏が住む心の力で法力は生じるのです。破地獄偈と呼ばれるお経が盆経の中にもあります。私はその「一切唯心造」という一節を肝に銘じております。