第17講/甑岳観音寺文書『御幣切方大事』より(その7)

『祓幣』、『一本五大尊幣』

自由・平等とされる現代社会において、理想と現実とのギャップが起因してストレスなど様々な弊害が生じています。下々の権利など軽く見られていたその昔は、庶民の怨み辛みは調伏などの祈祷で溜飲を下げていたのではないでしょうか。当寺には江戸時代に羽黒で伝法されたとされる「道切り」の次第が伝えられております。その内容は対象とする人物の命を奪うか、狂わす事を目的にする、云わば外法の極みの様な次第です。こうした修法も、時代が生んだ仇花的代物と申せましょう。当時の修験者にとっては呪う事も請け負えば、当然、その逆の祓いを行う事も日常の加持祈祷の一つであったでしょう。
この祓い幣は、家祓いは勿論、生霊、死霊、憑物がもたらす病などの障碍を被った時に用いられます。極めてシンプルな姿です。この幣はまた「一本五大尊幣」としても用いられます。この幣は家祈祷などをする場合に、本尊幣として用います。      

「祓幣」
知々理は中心から七五三、七五三と入ります。七五三と書いて「シメ」とも読ませますが、陰陽の配置では七は西、五は中央、三は東を表します。この西→中央→東は日の出から、日の入りの太陽の動きと逆の方向を指します。この方向は昔から神様の通る道と云われてきました。即ち神様の通る道であるから、清浄であると云う訳です。ですから注連縄を張った結界は清浄が保たれる事になるのです。七五三を二重にしたこの祓幣及び一本五大尊幣は、清浄的意味合いが強い御幣であると云えます。
 
「祓幣」(原本) 「祓幣」型紙
『疫病払幣』

昔も今も、病気ほど深刻な悩みはありません。有効な薬などなかった時代は、伝染病ほど恐ろしい災厄は無かったのではないでしょうか。疱瘡、麻疹、風邪等々、またはかつては田畑の害虫も疫病とされていた様です。この疫病払幣はこれら疫病を含めた病者加持に対する祈祷に用います。

「疫病払幣」

中央から順に七五三の知々理が入ります。この御幣も『祓幣』と同様に、清浄的意味合いが強調される御幣です。またこの幣には鉾先と呼ばれる部分が入ります。この部分は一般には剣と呼ばれています。右側が上になるように折り曲げます。
 
「疫病払幣」(原本) 「疫病払幣」型紙
『白狐幣』

『白狐幣』は当地の一部の行者の間で用いられてきた御幣です。私はこの白狐幣の存在を十年以上も前に知りましたがなかなか目にすることが出来ませんでした。知っている行者を探し、何とか伝授して欲しいとお願いして回ったのですが、皆さんは色々と理由を付けられてなかなか教えてもらえませんでした。鏡の部分を宝珠形に切り、三垂れの幣の下に切り紙の様に狐の姿をかたどります。この狐が垂れ下がる様な姿になる事から別名を『下り白狐』とも呼ばれています。

「白狐幣」

お稲荷さまのお祭りに用いられています。一般の家屋でも、野外に祠を安置しているお宅がありますが、毎日の様にお供物を上げると、カラスや猫が喰い荒らす様になる場合があります。その様な祠には、月の一日と十五日に祠にはお供えをする事にして、それ以外は室内にこの御幣を祭り、お供えをする事を奨めています。

「白狐幣」型紙

『上り白狐』と対を為す様に、『上り白狐』と呼ばれる御幣もあるのですが、こちらの伝授はさらに難航しております。御幣を含め、自らが伝授を受けたこうした諸作法の公開を憚る事は仕方ありません。しかし、御幣は勿論、立螺、加持祈祷等の諸作法など、特に修験関係は明治以降、途絶えたものが少なくありません。