その5 シャーンティ・カラナ

老いや病や死、そして狂気の徴は、近代という新しいシステムを形成する過程のスケイプゴートとして、特に急速に排除されてきたように思います。近代が物事の処理スピイドを神経症的に追い求めるのは、〈技術〉による眼にも止まらぬスピイドと合理化――'魔術'的な――が、老いや病や死をじっくりと見させる暇を与えぬことで、それら老病死を、あたかも克服したが如き錯覚を私達に与えるからであるような気がします。しかし、誰でもその気になって一度目を凝らせば、それらは「いまそこにある危機」なのであります。

さて、アーシュラマ滞在中に、わたしも何度か、心身の不調を経験しました。ある時、わたしは熱が下がらず、一週間ほど食べ物が殆ど食べられなくなり、大腿の間は、後ろの景色が見えるほどに肉が落ちてきました。日本から持ってきた解熱剤も、現地で売っているアスピリンも、効果は二,三時間しか持たないのです。それでも、冷水で身を清め、毎日一時間ほど伝授されたマントラの念誦だけは続けておりました。時々、わたしの兄弟子であり、またハイレヴェルなターントリカでもあるラクシュミーシャンカルさんが、わたしの分のミルクティーを持って、わたしの部屋にお見舞いに来て下さることがありました。熱で半ば朦朧となっているわたしの味覚神経は、食べ物の味を余りよく感じられませんでしたが、ステンレスのコップに入った熱いミルクティーには、様々なスパイスが濃厚に配合されていることが分かりました。それらのスパイスは、普段、インドの家庭料理でも頻繁に使うローング(丁子)、シナモン、カルダモン、ブラックペッパーなどです。これらは一つ一つの薬功は、インドの伝承医学であるアーユル・ヴェーダ(ayur-veda *1)から発展した知識として、インドの庶民の間で昔から利用されております。食材であると同時に、中国の薬膳に用いられる生薬と殆ど同じように、わたしは、それまで何気なく飲んでいたお寺のミルクティーの中にも、熱を下げ、痛みを緩和する伝統的な知識が込められています。わたしの為に作って下さったそのミルクティーを飲むと、わたしはとても安心して、いつしかわたしは眠りに入っているのが常でした。それらの薬功を持つといわれる食材なり香辛料は、タントラのプージャ(供養)やプラヨーガ(prayoga:修法 *2)にも頻繁に用いられます。

さて、わたしの熱がなかなか下がらず、弱っていったのを見かねて、ラクシュミーシャンカルさんは、「では、お前の為にシャーンティ・カラナ(shanti-karana:息災法 *3)のプラヨーガをするからお寺に来なさい」とわたしに言いました。そして彼は「その前に、お店に行って、これこれの食材とアイテムを買って来なさい」と付け加えました。わたしは、ふらつく足でマーケットに行き、指定されたプラヨーガに必要なものを買い、お寺に赴きました。祭壇の前に彼とわたしは座り、一定の礼拝を済ませた後、彼は独特の模様を書くようにでそれらのアイテムにマントラを唱えながら一連の所作をします。どうしてか時折、それらのアイテムから、ぱちんと弾けるような音がします。すると彼は、指でムドラーを作り、またマントラを口の中で唱えます。プラヨーガ自体は、時間にして五分といったところでしょうか、それらのお祈りが終わったあと、わたしは彼から、それらの食材やアイテムをピッパラ樹の下にある祠に、線香と樟脳(karpur)も一緒に、お供えして来るよう命じられました。わたしはその食材やアイテムを持って、現地で特別な信仰を集めているピッパラ樹(pippala *4) へ詣でました。ピッパラ樹の根元は二股に分かれて暗い空洞のようになっており、いつも大勢の人々、特に女の人が多いようでしたが、その聖なる樹木にそれぞれの祈りを捧げているのでした。わたしも参拝者に混じって、ピッパラ樹の木の股の前で、教えられた通りにアイテムをお供えし、当病平癒を祈願しました。それから翌日、もう一度同じプラヨーガをラクシュミーシャンカルさんが修して下さり、わたしも前の日と同じようにピッパラ樹の祠にアイテムをお供えに行ったのです。そして、だんだんわたしの気分は良くなり、終に熱が出はじめて九日目に急に良くなりました。
この出来事を説明するのに、例えば、病の治癒が果たしてプラヨーガの功徳だったのか、ということを客観的に確かめる方法はありません。今や過去の記憶となった、わたしの病とその治癒という出来事は、わたしや他の誰かによって語られる度ごとに、その都度、異なる〈歴史〉や〈物語〉や〈神話〉を生成するでしょう。ある時は、'わたしが治癒したこと、それはプラヨーガの功徳なのだ'、と。また、ある時は、'いやいや、わたしの熱が下がったのは単なる偶然、飲んだ薬のお陰さ'、と。そのように、何であれ様々な過去の出来事、「歴史的事実」とわたしたちが呼ぶものは、主観によって語られ、読まれるときにのみ、わたしたちの前に現れ、わたしたちを現在、また未来へと固定する〈物語〉としてのはたらきを有する以外は、如何なる時間-空間軸にも定まらぬ場所にあって浮遊しているようにわたしには思えます。かくして、わたしの主観を通過していった病とその治癒の出来事――戯れ――は、客観性という仮説から永遠に自由であります。

(*1)アーユル(ayur)は生命、ヴェーダ(veda)は知識、特に人を解放へ導く特殊な知識のこと。アーユル・ヴェーダを直訳すれば「生命の知識」ということになる。アーユル・ヴェーダは吾が邦において昨今、主に一部の民間医療、及び美容関係の業界に取り入れられつつある。しかし、そこには一つの根本的な誤解が存在する。本来、アーユル・ヴェーダの思想や技術は、インスタントな見せかけの健康や美しさを取り繕う為のものではない。一言で言えば、〈生きている〉といういま、ここに生起するところの創造の場に、自らを投棄し、生命との共同作業を行なう、身土不二、心身不二の立場に立つholisticな思想と実践の体系である。holisticな実践とは、極度に抽象化された〈部分〉、例えば数値、数字を操作することとに終始するのとは異質なものであることに注意したい。また、本来庶民のものであるこれらの知識を歪曲、改竄し、アーユル・ヴェーダを高額なブランドに仕立て上げようとする人々に、わたしは異議申し立てをする。それは、高額になり、ブランド化されたならば、民衆が日常の中で実践しうるものではなくなり、単にお金持ちのシンボルに過ぎなくなる。そして、holisticではなくなるのだ。
(*2)prayogaは『梵和大辞典』(講談社)には、行、加行、勤行等様々な意味が書かれてあるが、筆者はここで「修法」と意訳している。これには理由がある。現行のタントラの文脈では、種々の悉地(siddhi:成就)を得るまでの過程の行を、サーダナ(sadhana)と呼び、これを実際の問題、例えば病気平癒等の祈祷に用いる時の方法がprayogaと呼び習わされているからである。この悉地という言葉は、密教を語る場合注意深く検討し直さねばならない一つの大きな問題であり、いずれ稿を改めて論じることが出来ると思う。
(*3)シャーンティ・カラナは、冒頭でも述べたように、日本密教の四種法の内の息災法に相当する。
(*4)ピッパラ樹(pippala:学名をFicus religiosaというそうで、イチジクの一種であるらしい)は、釈尊が菩提を得た時、その下におられたという伝説のある木の名前であるが、むしろ菩提樹という名称が一般的であろう。遠くインダス文明の時代から、樹木は聖なる崇拝の対象であり、女神ヤクシニー(Yakshini)のシンボルであり依り代であった。タントラのサーダナにおいても、このピッパラ樹の下で行なうものが多く伝承されている。これは尸林(shmashana)で行なうサーダナと並び、極めて「恐ろしい行法」であると認識されていようである。筆者はこれを行なう許しを兄弟子のラクシュミーシャンカルさんにお願いしたことがあるが、ついに許しは得られなかった。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。