その3 ナヴァ・ラートリ

 ヒンドゥには一年を通して様々な年中行事、祝祭がありますが、わたしが経験したもののうち、最も印象に残り、かつタントーリカにとっても大きな意味を持つものはナヴァ・ラートリであります。ナヴァ(nava)は数詞の9、ラートリ(ratri)は夜で、九晩十日連続して行われる長いお祭りです(*1)。このお祭りに際しては、吾がアーシュラマにおいては、まずお寺の大掃除、壁の塗り替え、祭壇を洗い、神像の色を塗りなおすなどの準備があります。お祭りの期間中、お寺の祭壇の横に二つの真鍮の壺を置き、その中にガンガー河の聖水や様々なアイテムを入れ、バナナの葉やココナッツの実を乗せ、これを男神、女神に見立てて安置されます。朝から午前中は普通にプージャやハワナ(火供)が行われ、ナヴァ・ラートリ独特の儀礼は午後に行われます。この儀式に集まるのはファミリー・メンバーと限られた信者さん(bhakta)と限られた人々でした。わたしはいま、色々な理由から儀礼の詳細すべてをここで説明できないのですが、その中心となるものはアーヴェーシャナ(aveshana)、所謂、雑密の〈阿尾捨法〉であります(*2)。

さて、午後になるとお孫さん達が本堂に呼ばれます。小さく可愛らしい手に手に銅鑼やダーマル太鼓や法螺貝や天井からぶら下がる沢山の鐘の鳴らし綱を持ち、いっせいに叩いたり、鳴らしたりします。それは、世界展開に先立つ原初のケイオスが再現されているとも、また、こころの中に永遠に鳴り響くナーダ(nada:*3)であるとも言えます。この原初のケイオスを経たあと、Maharajが導師となって、サンスクリットのお祈りの文句、 Durga Saptashati等が唱えられていきます。小さいお孫さん達で、まだ文字が読めない子供も、「Namas Tasyai ,Namas Tasyai, Namo namah♪」と耳で諳んじて大人と一緒に歌います。アーヴェーシャナが終りますと、お花を一人ずつ祭壇に献じ、最後にココナッツなど、神格に捧げられた果物を分け合って頂きます。お祭りの期間中の昼間はそのような秘祭が行われます。

夜になりますと、Maharajは祭壇の前に座り、静かに祈りを捧げたり、ジャパをしたり、親しいお弟子さん等と宗教的なテーマについてお話をしたりします。そして夜が大分更けてきますとMaharajの静かな祈りは否がおうにも高揚してゆき、そのお顔にはテージャス(tejas)という特殊な光が顕れ始めます。彼の深い忘我の状態からは、わたしの解読不可能な祈りの言葉が、身振り手振りの動作を伴いつつ顕れ、漆黒の空間に響いていきます。このお祈りに最後まで参加しているのは、当時は二人、Maharajの四番目の息子、Laksmishankarさんとわたしでした。

クライマックスはお祭りの九日目の夜から翌日、十日目の朝にかけて到達します。本堂には、十人以上のお弟子さんとご家族の方々が集まり、本尊である○○(秘す)の神像に、はちみつ、砂糖、ヨーグルト、牛乳、ガンガーの聖水等を参加者全員でかけて供養します。お祈りが終ると、Maharajはわたしと、インド人の50代のお弟子さんに前に出て来るよう言いました。わたし達二人が進み出ますと、Maharajは一人ずつジャネウ(janew/yajnopavita:聖紐)をかけて下さいました。このジャネウは、ヒンドゥ社会で主にブラーフマナ(婆羅門)階級が左肩から袈裟のようにかける紐で、ヴェーダの聖なる力を宿すと信じられています。そのように突然、外国人のわたしがブラーフマナになってしまったのは、全く信じられない話です。

pujaをする奥さん達

 二人の新米ブラーフマナの秘儀参入が終ったあと、今度は本堂の中に、レンガのブロックと、ガンガーから運んできた泥で護摩壇(homa-kunda)をつくり、ヤントラを書き込みます。そして、木の枝を壇木にして護摩が始まります。金色に燃える炎に照らされつつ護摩壇の前にMaharajが座り、マントラを唱えながらギー(溶かし精製バター)を注ぎます。

「○○devaya namah svaha!!」「○○devyai namah svaha!!」とMaharajがマントラを唱えつつギーを注ぎ、同時に参加者が「svaha!!」と一斉に唱えながら穀物を聖火に投じます。護摩壇の近くは非常に高温になるのですが、それを全くものともせず、Maharajは炎をじっと凝視し、様々なマントラを唱え続けます。わたし達の祈りは、炎の中に投じられるやいなや浄化され、ぱっと明るい金色の光となって、虚空へ遍満してゆくように感じられます。

熱い祈りのクライマックスがそうして頂点に達するころ、白々と夜が明けてくるのでした。

(*1)Shri Ram Candramによれば、'ナヴァ・ラートリは初秋、九月下旬から十月初旬にかけてヒンドゥによって毎年祝われる嬉しい祭儀である。女神が〈宇宙母〉の姿で九夜の間崇拝される。それ故ナヴァ・ラートリの名がある。十日目、その祭儀はヴィジャヤ・ダサミ(Vijaya Dasami)と呼ばれる特別なプージャによって幕を閉じる、、。(後略)
(*2)aveshanaは、a+√vis(中に入る、占有する)という語根から作られた名詞である。密教大辞典(法蔵館)には、「又、阿尾奢、阿尾舎、阿比捨に作る。入・接近・占領等の義なり。摂縛と譯す、、、童男或いは童女を座さしめ天神等を請降してその支体に遍入せしめ、もって未来の善悪吉凶災祥成敗等を語らしめ、或いは病者を悩ます鬼魅を摂取して童男女の身に編入せしめ、以って之を呪縛し、疾を除き妖を壌ふ法なり。世間の託人・巫女・神降等の類は蓋し此法より出でしなるべし云々」とある。しかし、Robert Svabodaは、アーヴィシュカラ(avishkara:明らかにすること)という名詞を同じ意味で使っている。
(*3)ナーダ(nada)は咆哮、一般的な音という意味の他に、ヨーガのプロセスにおいて行者が経験する非物理的な音をも指す。また、サンスクリットの鼻音化記号が示す音であるとも言われる。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。