その2

[知識の核]

タントラは膨大な量の水を湛える海のようです。或いは、それはラウンド・ブリリアント・カットされたダイヤモンドのように様々な色彩の光を放ち、そこに反射する色々な色や形のうち、どれが本物のタントラなのかを指し示すことは困難な業であります。わたしが見たものはその大海の一滴、ダイヤモンドが放つ一筋の光にか過ぎないのです(*1)。

・・・さて、そのようにして、Bolanath Maharajのお足元で勉強が始まりました。Maharajは、ご自分が生涯を賭けて追い求め、血肉としたその知識と能力をどのように教え伝えたらよいかを考えあぐねておられるようでもありました。そもそも、インド人でさえ習得が困難なことを、現地の言葉もおぼつかぬ外国人がどうやって学ぶというのでしょうか?彼にとっても、実にそれは全く初めての経験であったのです。朝晩の伝授や授業は、わたしのたどたどしいジャパニーズ・イングリッシュと、Maharajのクイーンズ・イングリッシュのよるダイアローグ、そこにサンスクリットや地方語の断片が浮遊する不思議な時空を作っていました。

 
RarigurujiのSiva-templeの前にある
Nandir牛に礼拝するShivananda
 
Bolanath MaharajとShivananda

わたしとMaharajのダイアローグは、タントラだけに限らず社会の具体的な諸問題から、次第に精妙なテーマ―――ヴェーダーンタ(Vedanta:*2)やサーンキヤ(Samkhya:*3)といった古典哲学の世界―――へと進んで行くことがありました。そうなると、Maharajの方が、寧ろわたしとの語らいを楽しんでいるかのようにも見えました。また時には、彼のプライヴェートな悩み事(!)もわたしに打ち明けられたりしたものです。一方で、毎日、遠方から多くのインド人がMaharajのもとに相談に来られていました。家族に抱えられるようにして連れてこられた病人、縁談がなかなか決まらない女性、不妊で悩む女性、商売が上手くいかなくて悩んでいるビジネスマン、政治家、聖職者、時には学識ある大学教授も、彼の豊富な経験と知識、そして底知れぬエナジーを頼りにやって参ります。そんなMaharajが、海の者とも山の者とも知れぬわたしとの語らいの中で、ふと悩みを漏らす。現在インドに二人しかいないと言われるタントラ王の一人であり、同時に一人の悩めるお父さんの姿がそこにあり、まさにそれ故にこそ、彼に対し、これまでわたしの人生を貫いてきた何かと深い共感があったのです。

お寺で朝のプージャと授業が終わり、カリーとチャパティ、そしてお寺のお供物のお下がり(prasada)のブランチを奥さん方のお宅で頂いた後、わたしはかなり頻繁に、チョーク(Chowk)と呼ばれる地区へ本を物色しに行きました。そこでは、現地語で書かれたタントラやヴェーダ、ヨーガの本が数多く揃っているからです。そこで、わたしはめぼしいと思われる資料は少しずつ購入していきました。

ある時、購入した数冊の本が詰め込まれた買い物袋を抱えて、アーシュラマに戻ったときのことでした。奥の祭壇の横には、いつものようにMaharajが座っておられましたが、わたしが抱えている荷物を見て呼び止められました。
「オーイ、シヴァーナンダ!!」
「ハイ。」わたしはサンダルを脱いで彼に近づき、足元に頂礼(namaskar)をしてから座りました。
「何を買ったのか?」
わたしは答えました。「ハイ、マーケットで本を買いました。」
「見せてみろ。」
彼はわたしの買った本をぺらぺら捲っていましたが、次の瞬間「オイ!!
本に書いてあるものは何にも役に立たないのだぞ!! 例えばこの本の作法やマントラというのは、それだけでは全く無力なのだ」そう言いつつ、彼の座の後ろに設えてある本棚から、彼の手書きのノートを引っ張り出し、わたしにポイと投げて遣しました。「ちゃんと書き留めて置け!!」(後で分かったことですが、これも有り得ないはずの破格なサーヴィスだったのです。)

マントラ/ヤントラ/タントラは如何にして〈命〉を吹き込まれ、〈呼吸〉し、〈生きたもの〉として実際に活動し始めるのでしょうか?これこそ、彼が秘蔵し、保有し続けてきた知識の核といってもよいものでした。わたしはそれから繰り返し繰り返し、そういう核といえることについて様々な角度から教えられることになったのです。

「・・・良く聴け、シヴァーナンダ。マントラそのものは巷に溢れている。しかし、如何にしてマントラを「動かす」か、知悉している者はいないのだ。」

そういう時、Maharajは決まって厳しい面持ちで辺りをきょろきょろと見回し、誰も周囲に居ない事を確かめてから、内緒話をするときのようなそっと声で、わたしにそれを話して聞かせるのでした。

(*1)タントラの語がカヴァーする意味の範囲は、極めて広く多岐に渡る。例えば、ハタ・ヨーガ(hatha-yoga)の身体論、古典医学体系(ayurveda)、星学(jyotisha)、化学(rasayana)、哲学(anviksiki)、また近現代のタントラにおいては手相術(palmisity)、数秘術(numelogy)等の各種占術や催眠術(hypnotism)、奇術(jadu)の類に至るまで、タントラの理解と実践に不可欠な要素となっている。最近の研究では、タントラ経典を鉱物学、薬草学、広義の錬金術の視点から読み解こうとする試みもある(『密教の秘密の扉を開く』佐藤任著 出帆新社)。このようにタントラの語が意味するものは、古代からインドの人々が考え・工夫を凝らしてきた、膨大な知識、知恵の集積というべきものである。ここでは「タントラ」「ヤントラ」「マントラ」(これらの語の詳しい意味は、後に触れていく予定)という語を無造作に使う一部の人々に対する批判を込めている。今後、吾が邦でも、特に西洋経由のそれをプロパガンダとして標榜する善性を装った営利団体も出てくるだろうと思うが、それに対してもわたしは、読者の皆様に一定の用心深さを喚起しておこう。
(*2)ヴェーダーンタ(Vedanta):Badarayana(前100~1年頃)が開祖といわれるインド六派哲学の一。現象世界が唯一原理ブラフマン(Brahman:梵)のリーラ(lila:遊戯)に過ぎないことを説き、それは恰も幻術によって作り出された非実体的なものであるからマーヤー(maya:幻)、眩惑する力の側面をさして幻力と訳される場合もある。マーヤーによって自己・他者等と差異化されているが、これはブラフマンの運動の表層であり、現象の深層には唯一ブラフマンのみしかないことを知ることが最終の智であるといわれる。また、さらに古い時代、ブラフマンはヴェーダ語に宿る神秘力を意味していたともいう。
(*3)サーンキヤ(Samkhya):Kapila(前350~250年頃)が開祖といわれるインド六派哲学の一。プルシャ(purusha:男性名詞で精神、霊魂等と訳される)とプラクリティ(prakriti:女性名詞で根本原質・物質・自然等と訳される)の二つの原理または実体が接触することで世界―自己が展開すると説き、後世ヒンドゥーイズム、タントリスムの思想的土台となったと考えられる。

〔参考文献〕『インド思想史』中村元著 岩波書店


井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール

1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。