その17 雑密

雑密の世界

カルカッタからシャンティニケータン、シウリー、ムンゲールを経、ヴァーラーナスィーまでを確たる宛てもなく彷徨っていた、当時二十代だった筆者のこころに、ぴたりと張り付いたままの風景があります。これらは記憶の深いところで沈黙したまま言葉による展開を拒み続けておりました。ある時、これら風景の断片たちが、何ごとか物語を携えて、こころの表層に浮かび上がり、何かを語りだしそうな予感がしたのは、今からおよそ二年程前のことでした。それまでも、いわゆる整体療術師として境界的・すき間的な空間に身を置き、寒い営為を続けてきた筆者に、ヴァーラーナスィーの一風景を語るというスイッチが入ってしまったのは、それらの風景が、やはり境界的なものとしてシンクロしていたからだろうと思います。これまでのエッセイは、それらの断片的風景たちの徒然なるままの語りであり、更にそれらの語りは、境界的なものへの、つまり、わたし自身がわたし自身に抱いた不安の身振り手振りであったように感じます。この筆者が長い間拘泥してきた境界的という言葉は、他にも様々な言い換えが可能です。それは、どっちつかずに' ゆらゆら 'と揺れ動く状態、出来事、曖昧、偶然、ランダム、ケイオス、周辺、外部、非秩序、境界侵犯、変身、トリック、ルール無視、また昨今流行の言葉で言えば両義性です。宗教学者であり、ゾクチェン行者でもある中沢新一氏はこのどっちに走り出すか分らない予測不可能な動き、境界線上を走り抜けてゆく運動を、『野ウサギの走り』という誠に洒落たネーミングを与えております。この境界的という言葉の反対を考えてみると、更にこの言葉の性質がはっきりと分るでしょう。即ち、静止、体系、システム、構造、理論、論理、イデア、コスモス、必然、中心、内部、秩序、ルール、制御、抑制、一義性、シンメトリー、安定性などという言葉がそれに相当すると考えられます。

既に1975年に、文化人類学者・丸山昌男氏は『文化と両義性』のなかで、論理明晰性を公的な価値として称揚する如何なる文化も、実はその〈周辺〉や〈すき間〉に、闇の部分とも言いえる装置を必要不可欠な条件として内蔵している、と述べています。文化であるところ人間、人間であるところの文化は、両義的で曖昧なもの、それ故、秩序を侵犯してゆらぎを齎す危険なものを、その周縁や境界へと排除し、送り出し、そこへ特定の〈徴〉を建立し、祭祀することで秩序を作り出します。しかし、秩序は外部に対して完全に閉鎖したままでは、次第にその活力を失うので、周期的に外部との交渉を持ち、内部にそのカオス的・暴力的な力・荒ぶる力を導き入れ、活性化しなければなりません。両義的で曖昧なものとは、つまりひとつの言葉や記号で上手く捕まえられない対象のことであり、わたし達の文化が言葉からなっている以上、両義的で曖昧なものごとは、言葉の境界線上にまたがって不安定な動きをする危険なものと見なされ、様々な処置を施される、というのです。

筆者の近年の関心は、〈境界的=侵犯・暴力的〉/〈秩序=法的〉という二つの関係の束から、吾が邦における密教の大雑把な分類である〈雑密〉/〈純密〉の相対的な運動像を外観してみることでした。更にこのことは、ヒンドゥ信仰世界における〈タントラ〉/〈ヴェーダ〉の関係とおおよそ構造的に重なり合います。これまでのエッセイの中心テーマは、境界的・周縁的なるが故に被排除項として俗なる世界からはじき出されて来た〈聖性〉を、一信仰者の目で眺められたままにレリーフしてみようという試みでした。その後、次第に以下のポイントとして収斂されるように思われました。

(1)密教の中心と位置付けられている〈純密〉の体系は、周縁的・境界的な〈雑密〉との交渉によって活性化される。

(2)〈雑密〉は仏教以前からの土着信仰・習俗・民間医学を色濃く反映していると考えられている。それらは当然現在においてもヒンドゥの信仰の中に受け継がれている。そこで、ヒンドゥ(周縁)-仏教(中心)は通底するか。

 以上の二点は、筆者がMaharaj師のもとに正式に入門するまでは、はっきりと形を持っていたものではなく、このようなことを考えるようになったずっと後年になってからでした。もともと筆者をヴァーラーナスィーへ赴かせたのは、最初に述べたように余りまともな動機ではありませんでした―――職業的に境界的な徴(mark)を付けられていた(と筆者には強く感じられた)自分じしんの意味や、それまで生きてきたことに対して自分なりに自らをどう総括するか、或いはこれまでわたしによって綴られた文章に何の句読点を打てぬまま、だらだらと生きてゆくのかという不安に対する、何らかの解答を見出したかったが故だったと思います。そうした自分の社会的な在り方とは別に、当時、吾が邦の伝統仏教からスタートしたわたし個人の〈信仰〉という魚は、一時期瀕死の状態にありました。筆者の身体に流れる水の流れは淀み、そこに棲む一匹の魚は、どこか他の、水の流れが適切な環境に逃がしてやらねばならないと感じました。その後、筆者は様々な模索の末に、遠くかの地の地下に静かに流れる水脈に辿り着き、永遠の太古より再び永遠に還流するその密やかな流れのなかに幸い放流しえたと考えております。日本の山奥の寒村で生まれ、筆者の身体の中で息づいてきたその〈信仰〉という魚が、かの地の地下水脈の中で何の違和感もなく、むしろこれまでよりもいきいきと泳いでいること、この一事のみを、これまでの下手な文章の糸の中に織り込んだつもりです。以下はこれまでのまとめとして、これまでのやや低く見られがちであった雑密は、どのように読み直されるべきかを考えてみたいと思います。

いわゆる〈雑密〉について―――それは「呪術」なのか

雑部密教、略して雑密の語の意味について主に二つの説がある。一つは、およそ七世紀インドで『大日経』をもって正純密教、即ち、純密の成立とし、これ以前に作られた陀羅尼とその功徳、作壇法等を説く密教経典を雑密と考える説であり、もう一つは、金胎両部の大法以外を全て雑密とする説である(*1)例えば金胎両部の大法以外を全て雑密に分類すれば、。前者は仏教学者達、後者は真言宗の伝統的な教義の中で採用されているようである(*2)。学者達のまとめるところによれば、雑密経典にはもっぱら呪文によって病や害虫、旱魃や大雨の災いを除き、悪人から逃れる等の「呪術」や、日月星辰の吉凶を調べる「占い」が説かれており、人間が生きてゆく上で避け難い困難、不安からの解放に何とかして応えようとするものであった。しかし、「占い・占星術」に関して今は置いておき、雑密経典の記述をなぞってゆくと、そこに説かれていることは、こんにちわたし達が時折目にする「呪術」や「まじない」という言葉や、それに付随するイメージとはどうもしっくりこない。何がしっくりこないかといえば、雑密経典の作者がそれを信ずる人に要求するのは、「呪術」よりもむしろ、宗教の世界で用いられる「行」という観念に近いと思われる。雑密経典は様々あるが、代表的な経典の引用を数例挙げて考えてみる。

〔例1〕『陀羅尼集經第一』 (大正蔵 No.901)

 『陀羅尼集經』は雑密経典の中でも代表的なものの一つといわれる。いま、例で掲げた第一巻にはこのようにストーリーが始まる。ある時、仏はシュラーヴァスティー城域のジェータ園におられた。そこに阿羅漢となった弟子をはじめ、無数の菩薩や比丘、比丘尼、優婆塞、優婆依、神々、王、そして六種の外道出家者が集まって論議をしていた。その時、外道出家者の富蘭那迦葉(ふらんなかしょう:Puranakasyapa *3)が仏に神通の挑戦をした。「ゴータマよ、貴方は一切智を有していない。もし一切智を有しているならば、ここにある枯死しかけている菴末羅樹(amala)を死なせず生き返らせることが出来るはずだ。」この挑発に対し、仏は何も仰らず、沈黙を以って答えた。そこで富蘭那迦葉はその枯死しかけている菴末羅樹に手で水をぱっと振り掛けると、何と枯死しかけている菴末羅樹に青々とした芽が出、葉が茂り始めた。そこに集まっていた凡衆達はこの不思議な有り様を見て非常に驚き、かつ怪しんだ。「この外道はかくも不思議な奇跡を示している。仏が必ずしも外道に対して勝っているとは言えないのではなかろうか、、、。」そのとき、仏は凡衆の疑いを知ると、「火光」と称する三昧(samadhi:禅定が更に進んだ深い境地)に入った。仏の頭頂からは凄まじい光炎が発せられ、また仏が「仏頂印」を結び、その呪を唱えると数々の神異的ヴィジョンが現れるのをそこに集まっていた人びとは目の当たりにしたのだった。すると見よ、先ほど新緑が再生した菴末羅樹が再びしおしおと萎れ、富蘭那迦葉は地に倒れ悶絶した。彼の弟子はそれを見て泣き崩れるのだった。この時人びとに説かれるのが「仏頂法」と称する一連の儀軌である。主要な呪と印契が説かれた後、次のような説法が続く。

「・・・其作法人日日洒浴。於淨草上而坐臥之。於白月十五箇日。從初一日。日別請一比丘設齋。多亦無限。初日三時供養佛頂。各誦咒一千八遍竟。然後發遣已。・・・」

 大体の意味は、「その仏頂にお祈りする作法をしようとする者は、毎日沐浴し(=身体を清潔にし)、清らかな草の上を寝床にして(=心地よいベッドに寝ない)、新月の十五日の朔日を初めとする。日を別けて一人の比丘に食事を多くの回数、また無限の回数供養せよ(或いは「多く、また無限の比丘に供養せよ」という意味にも読める)。初日より三時〈朝・午前・午後)において仏頂を供養し、毎回千八回呪を唱え終わり、しかる後に發遣しおわること。、、、」

〔例2〕『冰・羅天童子經』(大正蔵 No.1263)

 この経典の本尊となる冰?羅天(ひょうきゃらてん)は、訶梨底母(鬼子母神)が左手に抱く赤子と同一である説があるも、詳細は不明である。経文の中に次の一文がある。

「若有行者持此明者。或能乞食或專喫乳粥或能自食。當於像前持誦滿三十萬遍。然後作火法。取玉柔作一千八片。一誦一擲火中燒。?日三時滿四十日。證云云所求皆遂又取玉
 柔和安悉香作丸。、、、」

 一つだけ経文中にある「取玉柔作」「取玉柔和」は意味が不明だが、恐らく安息香を柔らかく和して丸香を作るという意味ではなかろうかと思う。この一文の内容は大体このような感じである。「もし行者でこの明(真言)を持さんとする者は、乞食して専ら乳粥或いは自食(白食=清らかな食事の誤りか?)を能くすべきである。まさに像の前において持誦するに三十萬返を満たし、しかる後に火法(護摩法)をなせ。玉を取って一千八の片に柔らかに作り、真言を一返唱える毎にこれを投じて火中に焼け。毎日三時、四十日にしてこれを満たせ。ここで明らかに証明して云うことは、言う所の求めを皆遂げるであろうということである。また、玉を取り柔らかに和すとは安息香で丸く作るというふうにするのである。」

〔例3〕『孔雀王呪經巻上』 〈大正蔵No.984)

 雑密経典の代表としては『孔雀王呪經』を挙げておく必要があるだろう。この経典の故事では、ある時一人の年少の比丘がいた。名を娑底(Sati?)と言った。あるとき彼が沐浴していた時、黒い蛇が彼の右足の親指を噛んでしまった。娑底の身体にはみるみる毒が回り、彼はその場で泡を吹いて卒倒した。これを見た阿難(Ananda)は恐ろしくなり、急いで仏のところへ行き、ことの経緯を話し相談したところ、蛇の毒を除き、また諸々の災いを避けるために仏が説いたのがこの教典に説かれた「大孔雀王呪」であるという。その中に次のような一文が見える。

「・・・先時阿難於雪山南。名金光明孔雀王。住處朝起讀誦此大孔雀王咒。晝必安樂。日入時讀誦夜必安樂。即咒如是。'吼吼吼吼吼吼。那伽離離離淡婆離離離毘摩離離離。・・・」

「先の時に、阿難よ、雪山(ヒマーラヤ)の南に金光明という名の孔雀の王がいた。棲家では朝起きればこの大孔雀王の呪を読誦して安楽であり、日没に同じように読誦すれば安楽であった。[と仏はこのように故事を述べて]次のような呪を説いた。'クククククク。ナーガよ。リリリ。トゥムバよ。リリリ。ビーマよ。リリリ。・・・(*4)'」

 この経典には他の儀軌のように念誦の回数は書かれていないが、朝と夕方に怠りなく孔雀王呪の読誦が為されるべきことを暗示している。

〔例4〕『不空?索神變真言經卷第一』(大正蔵 No.1092)

 ある時、仏は補陀洛山にある観世音菩薩の宮殿に、無数の神々と共に居られた。その時、観世音菩薩が右の衣を肌脱いで仏に近づき、足を頂礼して次のように言った。「わたしは一つの陀羅尼を持っております。それは〈不空?索心王[母]陀羅尼真言三昧耶〉といい、〈世間自在王如來〉という名の仏がわたし(=観自在菩薩)を哀れんで授けたものです。わたしがこの陀羅尼の法を得た時、〈十百千不空無惑智莊嚴首三摩地門〉[という境地を]明らかに得たのです。」続いて経文中に次のようにある。

「・・・以香塗身著鮮潔衣。如法佛前。至誠懺悔過去今生所造重罪。終更不犯。受持齋戒清淨其心。七日七夜誡斷語論。於不空?索觀世音菩薩前。?日誦此陀羅尼真言一百八遍者。當知其人先世今世所造。十惡五逆四重諸罪。悉滅無餘不墮地獄。惟除五逆現世輕受。・・・」

 以下は上記引用の意訳である。「・・・香を身に塗り、清潔な衣服を着、如法に仏前にて過去の重罪を懺悔し、更に以後罪を犯さぬよう戒めを守って心を清浄にしなさい。七日七晩の間お喋りや論議を避け、不空?索觀世音の像の前で毎日この陀羅尼を百八遍念誦しなさい。そうするとはっきりと次のことが分るであろう、即ち十悪を始めとする諸罪を滅して地獄に堕ちないということを。ただ、前世および現世において為された仏・阿羅漢・父母に害を加える等の救い難く恐ろしい大罪は除いてであり、現世でその応報は軽くするのみであるが。・・・」

 幾つかの雑密経典中、引用した各例に共通するのは、わたし達が日頃使う日本語の「呪術」、或いはそれと殆ど同じ意味で慣用される「まじない」と呼んでいるイメージとは程遠く、明らかに吾が邦で「行」と呼び習わしてきた宗教的+行為を聴聞者たちに要求している。簡単にまとめてみると、〔例1〕では、仏頂呪千八十回を一座として毎日三座、十五日間に渡り念誦するものであるし、〔例2〕では冰?羅天真言の念誦を先ず三十万回満たさねばならない。〔例3〕においては儀軌の詳細は不明であるけれども、長い期間朝晩これをたゆまず続けてゆくことが短い経文の表現の中からわたし達は読み取ることが出来る。〔例4〕では、この経文の後に説かれる不空?索心王[母]陀羅尼は、二百七十八の単語が連なる非常に長いものであり、これは雑密全体の文脈から、恐らく百八回×三座×七日間念誦されたのに違いない。このような読み飛ばそうと思えば容易い〈行〉への示唆は、最早わたし達が日常連想する「呪術」「まじない」の範疇には収まらないことは明らかである。雑密経典には、後の純密経典の如く、緻密な存在の分析、心の分析、生死と涅槃の構造と、高度に洗練されたシンボルを用いる体系の記述は殆ど見出されないか、或いは希薄である。しかし、この一見単純に見える陀羅尼呪の読誦・念誦の反復の要求という一事は、多くの雑密経典の中に一貫して貫かれているところの縦糸(sutra)であり心臓(hrdya)であると考えられよう。

 言うまでもなく吾が邦の宗教思想史の中で、この〈雑密〉の中心的課題である念誦に取り組み、〈真言〉と根源的な体験を持ち、そこと繋がっていた代表的人物が修験道開祖と呼ばれる役小角(634~701?)であり、吾が邦の真言宗=〈純密〉の祖師、空海(774~835)であった。考古学的見地からは役小角は伝説の人物であるが、葛城・吉野等の山中において孔雀明王の一呪を念誦すること三十余年、遂に飛行自在・鬼神使役の成就を得たと言われ、その威徳を伝える旧跡も数多く残っている。空海に関しては、留学生として入唐する前に〈雑密〉の行法の範疇にあると考えられている『虚空蔵菩薩求聞持法』を修していたというのは有名な話である。空海が正式に〈純密〉(というあの荘厳でシステマティックな曼荼羅コスモロジー)に参入するまで、虚空蔵の真言を百万遍〈念誦〉するというシンプルな(そして実際難しい)行の形態に集中していたことは、吾が邦の〈純密〉の起源には、〈雑密〉の信仰、〈雑密〉の振動が脈打ち、震えていたとわたしは信じる。これが次第に形骸化され、概念の操作へと移行した先には、当然のことながら再び起源としての〈雑密的生命〉へと回帰する運動が活発になったことだろう。『八千枚護摩供』という荒行は、〈純密〉を依拠としつつ、ことばで理念として語られてきた概念の壁を再び打ち破ろうとする雑密的回帰の試みの激しい一表現であった。雑密的回帰の中心は、複雑な専門知識を必要とする儀礼や、存在の哲学的思弁を経ずして(或いはそれらが脱落した果てに)、真言、陀羅尼、或いは神仏名(多くの場合一つだけが選ばれる)の反復であると定義とすると、恐らくは浄土教が掲げたところの称名念仏、日蓮宗の題目も、この運動を先導した祖師達によって為された雑密的回帰であったと考えられよう。更に、称名念仏或いは題目の反復による雑密的回帰(〈雑密〉という用語に抵抗があるならば、原初的生命への回帰)というシンプルな実践は、無学文盲の民衆にとってこそ、ストレイトに彼らの心を満たす「何か」が現前していったに違いない。何故なら彼ら民衆にとり「ナムアミダブツ」は「南無・阿弥陀・仏」とか、サンスクリットの'Namo'mitabha -buddhaya'(帰依す、無量光仏の為に)という語義的な響きではなく、多くの場合「なまんだぶ」は至高なる救済者を現す〈音韻〉であったに違いないし、知的・哲学的な挟雑物が粘着した自己と、無限の西方の彼方にある絶対他者としての阿弥陀との間にある距離はそれ程遠くなかったと想像するからである。
 吾が邦の宗教思想史における中世の変革的状況の一片だけでも切り取って眺めれば、それは常に、先に引用した雑密経典に説かれるが如き狭義の〈行〉による〈雑密的回帰〉を以って、思想的な停止や実際的生に対立する閉塞的状況を克服しようとしてきた事実にわたし達は気がつくであろう。

(*1)『密教大辞典』(法蔵館)p.1108
(*2)『講座密教5 密教小辞典』(春秋社)p.129,p.149
(*3)富蘭那迦葉は原始仏典にも現れる非伝統・異端の思想家の名。釈迦在世当時のインドでは多くの自由思想家が現れた。富蘭那迦葉は裸形の業報・道徳否定論者であったが支持する民衆も多かったらしい。彼の他にも有力な五人の思想家がおり、まとめて「六師外道」と呼ばれている。『インド思想史』(中村元 岩波全書 p.41)参照。
(*4)カタカナ表記した陀羅尼は原テキスト中の漢字を呉音で置き換えたが、元来のサンスクリット(或いはプラークリット)音は推測するしかない。しかし、「クククククク」「リリリ」等のは、これまで度々学者に指摘されてきたように孔雀の鳴声であろう。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。