その14 密教の源流

このエッセイには〈密教の源流を尋ねて〉という題名がついております。アカデミズムとは縁もゆかりもないところで、恣意であることのそしりを免れるはずもないことを覚悟の上で申し上げれば、もし、仮に〈密教の源流〉というものがあるとしたら、それは、いまわたし達が〈密教〉と称するものにおいて、実際に先生方から学ぶような一般化され、整理される以前の、飾らない〈祈り〉であったし、今もそうだし、これからもそうであることだろう、と。その〈密教の源流〉が流れる河は、寺院の金色に輝く内陣にあるのではなく、わたしたちのこころー身体の最深部に、常に淘々と流れております(寺院とは、わたしたちのこころ―身体のメタファーです)。この〈源流〉に身を浸すときには、社会的肩書きや宗教的地位といった衣は潔く脱がれねばなりません。同様に、「わたしは〈行-者〉だ」という自己同一性さえも、幻影の一つであることも気がつかれることでしょう。その倶會一処の場において、〈祈る主体〉、〈祈りという行為〉、〈祈られる対象〉の分節線は自ずと溶けてゆくときに人は、長いゝゝ過去世から求め続けてきたもの―――それは宝クジが当ることでも、高級官僚になることでも、エリートビジネスマンになることでも、つまり権力とは関係ありません―――に出会うでしょう。種々の洗練され、特別な方向性を持たされた〈祈り〉の形式とは、必ずやこの〈源流〉から水を汲んできたはずです。

周知の通り、インドから中国を経由して伝承された、吾が邦の三国伝来の〈密教〉は、その〈祈り〉の形式を、これ以上ないというところまで洗練させてきました。この洗練された〈祈り〉の形式は、様々な理念や意味が高密度に圧縮された、音声や色、形、所作などのシンボルによって代替されることから成り立ちます。このシンボルから再び無数の花びらを色鮮やかに花ひらかせるには、そのシンボルの高度化に応じた特殊な解凍コード、即ち〈口伝〉が必要不可欠の条件となります。吾が邦の密教のお祈りの際には、この〈口
伝〉を入力しないと、シンボルは意味不明な文字や形の羅列であり続ける構造を持っています。これは、先に述べたようにそのエキスパート達の心身で起こってきた〈祈り〉の洗練が伴う必然であり、即ち、シンボルが高度になればなるほど、〈口伝〉の数、重要性がいや増しに増してゆく、というのが吾が邦の密教史が中世まで辿った経緯でした。そうした高度に洗練された〈密教〉の祈りの中では、シンボルは様々な意味が圧縮されては、それを解凍し、また展開された意味が再びシンボルへと結晶するというダイナミックな運動のなかではじめて生命を保つことが出来ます。しかし、この運動が停滞したときには、シンボルはやがて、使われない筋肉が廃用性萎縮を起すように痩せ細り、もともとそれが何の為にあったのか、どのようにして用いるのか分からないものになり、次第に散逸、忘却され、再びこれに生命を吹き込む人に見出されるまで、多く寺院の片隅で永い眠りにつくことになります。

一方、〈口伝〉は、師が特殊な方法で、かつ説明不可能な絶妙なタイミング=〈時〉の一致を見て弟子に吹き込むことが最奥義であり、それ以外の方法では、弟子はその意味するところを完全に了解できません。運命を司る伝達の〈時〉とは常に謎であり、密教の歴史のなかで、その相承で〈口伝〉が「満ちた言葉」として伝達されてゆくことは、やはり難しかったのだろうと思います。このように、〈口伝〉が〈起こる〉〈時〉というのは謎であり、特異点を孕む神秘の流動であることは、どのようなセクト、そのような流派であれ、幸運にも真の伝承を得、古代からの法灯を自らの内に点火された方々は等しく、後から振り返ってみられて良くご存知であることでしょう。

ところで、わたしにとって〈密教の源流〉へと遡ること、それは、洗練された〈祈り〉の形式みずからが、その優雅な衣を一枚づつ脱いでゆくことに他なりませんでした。当初、サンスクリットという極めて難解な言葉でわたしの前に現れた、そして美しく洗練された〈祈り〉は次第に俗語方言体、大地と一体になった〈祈り〉や〈歌〉へと変容してゆきました。この俗語方言体は、それを話す人々―――多くはアウトカーストの人々―――の間にのみ最も変更を加えない形で生きています。そのようなことから、わたしは、タントラは、〈彼ら〉のものである、という認識を持ち、それを伝承してきた人々に敬意を抱いて、その接触には細心の配慮をしたいと考えています。もしも、そうした敬意を以って〈彼ら〉=外部に排除されたひとびとに寄り添うような心的態度を欠く時には、欧米や吾が邦の一部の徒輩が為したごとく、タントラと称してタントラと似て非なるものを担ぎ上げ、インドの人々が大切にしてきた文化を捻じ曲げることで、その生命を永久に損ねてしまうでしょう。インド人の信仰者は、そういう外国人に対して、言葉数は少なく、冷めた目で見ております。

話が横道に逸れました。さて、そうした俗語方言体で表現される〈祈り〉の言葉―――シャーワル・マントラ―――には、学者によって哲学的に昇華された概念用語は出てくることはほとんどなく、そこにはおさな児が只管、母親を求めるような泣き声、魂からストレイトな救済を乞う呼び掛けであり、また、うれしい時にはそれを素直に表現する笑い声であり、時に動物が敵と遭遇したときに威嚇するような唸り声であったり、鳥が歌うような音もあります。そこで、こうした〈祈り〉を実践しようとする入門者は、恰も少ない語彙しか持たないおさな児のように、〈時〉を選んで口伝された唯一のマントラを朝となく、夜となく、その生の幕を閉じるまで、こころに響かせ続けてゆきます。

そうした信仰のあり方は、おさな児が母親/父親を慕い愛するのに知識や知識が介在していない事実と相応しています。おさな児と信仰と言うものを考えてみる場合、イエスの言葉は、信仰において一つの普遍的な真実を表現しています。ある時、おさな児たちがイエスに無心に触れようとした時、弟子たちは彼らを追い払おうとしました。しかし、イエスはこの弟子の振る舞いに激怒し、おさな児を抱き上げて祝福し、『神の国は、じつにこのような、おさな児たちの為にある』(マルコ Ⅹ.14)と語ったのはまさに正しい、とわたしは思います。

ヒンドゥにおいては、タントラに属する信仰者も、そうでない信仰者も、一部の特殊な修法を志す人を除いては、多くおさな児、子どもであり続けます。それ故、髭づらのいい歳をしたおじさんも、老齢の女性も、彼らがプライヴェートにお祈りするときは、深い親しみを込めて、「マー(Ma:おかあさん/おかあちゃん)!!」、或いは「ババ(Baba:おとうさん/おとうちゃん)!!」、と、女神や神に呼び掛けます。わたし達が生まれてきた民族・文化の差異はあれ、これらの根源的な言葉は、この世に生まれてきたわたし達が、初めて世界から切り出してきたところの、意味をもった音声でした。

―――ある日の夕方、ラクシュミーシャンカルさんとわたしは、ガンガー沿いのガート(沐浴場)が続く石畳の道をそぞろ歩きに行きました。日は暮れて、聖なる河ガンガーの水面はオレンジ色と深い青色に染められ、細い横縞の不思議な模様が動いていました。わたし達二人は上流に向かって10分ほど歩いた後、脇の細い道に入り、石で出来た某寺院の門の前に立ちました。

「ここは普通、きみのような外国人が立ち入ることが出来ない場所だ。だが、きみはわれゝゝと同様ヒンドゥなのだから、何も問題はない。さあ、行こう。」そのようにラクシュミーシャンカルさんはわたしを促し、サンダルを脱いでわたし達はお寺の中に入りました。外側からは想像も出来ないほど大きなこのお寺の中には、かなりの数の参拝者が、一日の労働の終わりに静かな祈りを捧げていました。捧げられたお香や花、ミルク、蜂蜜、砂糖、ヨーグルトの甘い匂い、参拝者の静かな祈りが、お寺の空気を振動させている中を歩くのは、まるで赤いワイン・ゼリーの中にとっぷり浸かって進んでゆくような濃厚さでした。このお寺の本尊は床に埋まっている巨大な石、シヴァ・リンガ(Shiva-linga)であり、周囲は女陰を象った枠で囲まれています。ランプの光を反射したシヴァ・リンガは、ガンガーの聖水が潅がれて、きらきら輝いて見えました。わたし達の前には、痩せて、ひどく疲れているように見えるサーリーを纏った一人の女性が、一輪のお花をシヴァ・リンガの上に恭しく載せてうつむき、ほんの数秒、願いを込めておられました。

「ババ、、、」

彼女は殆ど聞こえない位の声でつぶやき、額を地に付け、そして足早に去って行きました。子どもの病気、夫の仕事、自分の健康問題、、、どのようなお祈りを捧げておられたのか、わたしの窺い知ることができるものではないにせよ、彼女が為した一連の短いお祈りは、余分なものが削ぎ落とされ、彼女が深く信仰を寄せる〈あの方〉へまっすぐ向かっていたはずでした。辺りを見回すと、ここでは、日頃、生活の為に会社の荒波のなかで目を吊り上げ、血走らせているインドのビジネスマンも、石で出来た床に裸足になり、甘い香りの線香と花曼を捧げ、合掌して、「マー」、「ババ」と口ずさむとき、一瞬ですが、やさしい目に戻っているような気がします。そして、お参りを済ませたビジネスマンは、お寺の門の外に座っている身体の不自由な方々に幾許かの喜捨をして、そっと家路に戻るのでした。

わたし達もシヴァの持ち物である三鈷叉(trishula)を象徴する三つの葉のついたベール・パトラ(Bel-patra,Bilva:*)をリンガの上に奉納し、短い祈りを捧げた後、少し離れた石段に腰掛けてマントラのジャパをしました。そして、門の外に座っている足の不自由なお年寄りの方に喜捨をしてから、わたし達二人はアーシュラマへの帰り道に着きました。

外は完全に日が沈み、風が少し涼しくなってきたようでした。

(*)ヒンディー語のベルは植物学名Aegle Marmelosといい、赤痢、心疾患などに効能があるアーユルヴェーダ薬であるという。寺院の境内に植えられ、シヴァのプージャに用いられる。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。