その13 秘儀としての音楽

ヴァーラーナスィーは全ヒンドゥにとっての巡礼の聖都であるとともに、音楽芸術の都でもあります。毎晩、必ず街の何処かで古典音楽のコンサートが行われている程、音楽が盛んな所であります。純粋な音楽としての音、そしてお坊さんから庶民までのお祈りの声が、この朝から晩までこの都の空気を震わせ続けているのでした。この都に、音楽だけを学びに一年、二年と滞在を続ける外国人も何人か見かけました。

当時、Maharajや彼の息子さん達、そして、もう一人の特殊なグル(Guru:魂の導師)から学ぶ合間に、わたしは無謀にも自分の音楽の才能を省みず、近所のシタール(sitar)や歌(vocal)の教室にも数日に一度通っておりました。わたしが音楽を教わっていた先生は、やはり地元では有名なタントラの本尊を祀るC寺の主でした。その時分、シタールを教わっていたのはわたし一人でしたので、わたしはそこでも何かとご家族ぐるみのお世話になっておりました。そこの奥様はとても信心深く、また珍しくヨーガ行法にも造詣の深い方でした。彼女は『ヨーガ・ニドラー(yoga-nidra:ヨーガの眠り)』と呼ばれる難度の高い行法や、ガーヤトリー・マントラ(Gayatri-mantra *1)の特殊な印言をわたしに教えて下さることもありました。こうした教えは必ず狭い密室で行われ、そのような〈セッション〉が終わりますと、わたしたち二人は神様にマントラを唱えながらお水を捧げて感謝をします。

当然のことながら、わたしは音楽に関して少しも進歩しませんでしたが、音楽の練習はそのままタントラへの洞察を与えてくれたように思います。例えば、あるラーガ(raga)のフレーズを長い時間同じリズムで練習するのは、マントラを長時間念誦することと似ております。ここでラーガとは、インド音楽理論において、ある特定の情感によって、それを聴く者の心を「染め上げる」メロディー・パターンを意味しています。伝承されている各ラーガは、静けさ、悦び、悲しみ、怒り等々の情緒、また一日の各時間帯や様々な季節、天候を表しているといわれます。また、ラーガの各メロディー・パターンが、それを聞く者の体液の状態(*2)にまで固有の影響を与えるとして、その応用を医療分野に取り入れようという試みもちらほら存在するようです。

そこで、ある一つの神話(*3)―――土曜星(Shani)に〈呪い〉を掛けられ、暴走した馬によって王国から見知らぬ地に遠く離れ、そこで冤罪によって手足を切断された王様が、艱難辛苦の末にすべてを自らのカルマ(karma)として、「全面的に受け入れ」た結果、再び土曜星の恩寵によって手足が癒え、王国へ迎え入れられるお話―――があります。この手足を失った王様は、不自由ながらも、毎日、汗と土にまみれながら厳しい肉体労働に明け暮れておりました。ある晩、穀物のオイルを絞る石臼を、手のない腕で回しながら、あるラーガを歌う盲目の王様の声は、町中に響き渡り、お城の中まで響いて行きました。そして、お城中の、そして町中の家のランプというランプ全てに、ひとりでに火が灯されるのでした。その光景はまるでディワリ(*4)のような美しさであったといいます。人々はこの奇瑞に驚き、また、バルコニーに立っていたお城の若くて美しいお姫様は、「ディワリの季節でもないのにどうしたことかしら?」、「これらの素晴らしい歌を歌うマエストロは一体誰なのかしら?」と不思議に思い、侍女をつかいに走らせます。こうして神話のストーリーはドラマチックに展開してゆくのですが、このとき、手足が失った王様が歌っていたラーガの名を『ディーパカ(Dipaka:灯)』といいます。他にも、この『ラーガ・ディーパカ』を歌って火を起し、『ラーガ・メーガ・マルハル(Megha Malhar:雲・雨の意)』で雨を降らせたという楽聖ターンセン(*5)の伝説は、インドでは余りにも有名です。もちろん、わたし達はこうしたお話を一つの〈神話〉として、適切なコードを用いてその深層を読み解いてゆくべきですが、ここにはその表層にも、インドの古い時代の音・メロディに対する信仰が現れています。

tablaを習うShivananda(97)

シタールに限らずアコースティックな楽器は、弾く者のこころの在り方を如実に増幅、反映させるのかも知れません。シタールという楽器は、人間の脊柱に似た本体に、アーチ型に浮き上がった鉄のフレットの上からスチールの弦を指で押えて弾き、音を出します。まるで恋人を優しく抱きかかえるようにこの楽器を斜めに持ち、最初は押さえる指の激しい痛みに耐えながら音を何とか出そうとします。そのうち指に血豆などができ、炎症と治癒を繰り返すうちに神経は麻痺して痛みには慣れて参りますが、こうした〈痛み〉などの触覚という経路を経た音を出すときは一種の慎重さが必要かも知れません。何故なら、わたし達がそのようにして作り出す音が、善きにせよ悪しきにせよ、その人の内面の〈想い〉を相手に伝達し、自他の不可視なレヴェルに影響を与えるかも知れないからです。東京に住む某シタールの大家に伺ったお話では、彼のお師匠さまは、かつて生徒のシタールの音色を聞くだけで、過去に起こった出来事を正確に言い当てたということです。

ところで、音の中に様々な〈想い〉が密かに織り込まれているという考えは、吾が邦の古い精神文化とも確かに繋がりを持っております。例えば、修験者によって珍重される法螺という法具が用いられる際の以下の(*6)偈文―――。

 三昧法螺聲 一乗妙法説
 経耳滅煩悩 當入阿字門

 (三昧ノ法螺ノ聲ハ  一乗ノ妙法ノ説ナリ。
 [ヒトタビ]耳ヲ経レバ[ヨク]煩悩ヲ滅シテ  當二阿字ノ門二入ラシム。)

そのような法螺の音はヒンドゥの儀礼にもしばしば使われます。法螺(shanka)は、吾が邦の修験者が用いるものよりかなり小さく、普通見かけるのは白色のものです(*7)。―――お寺の天井にぶら下がる巨大な鐘を始め、激しく打ち鳴らされるでんでん太鼓のダーマルや、そして法螺は、一切の差異が今まさに根源から生まれんとする根源的な音のメタファーだ。ここでは、まだ規則的なリズムも無ければ、音階の文節も聞き取ることは出来ない。いわば音と音の境目の無い、〈音の充溢〉だけが満ち満ちている。ヒンドゥの儀礼において、これらの楽器が間断なく打ち鳴らされ、或いは吹かれるとき、新しい世界がいままさに形成され、生まれようとしているが、そこには未だ、有/無、上/下、左/右、大/小、優/劣、浄/不浄、聖/俗といった二分法は溶解している。この差異が溶解した灼熱の火炉のマトリクスは、次第にその温度を下げていくだろう。すると、そのマトリクスの中であたかも受精した卵細胞が細胞分裂してひとりの胎児へと成長するように、様々な組織器官へと分化が始まる。この時、混沌として境目の無かった〈音の充溢〉に、境目の空間が現れ、次第に繊細なリズムとメロディが聞き取れるようになる。まっすぐ静かに脊髄の神経が伸び、枝分かれし、やがて確かなリズム=心臓の誕生―――。根源的な〈音の充溢〉からツリー状にアルファベットの花が開き始める。更に形成される組織器官が複雑になるにつれてリズムとメロディも様々に分化してくる。五臓六腑、腕、足、それらのいちいちの先には五本の指が伸び始める。いまや、根源的な〈音の充溢〉は、無数の美しいメロディと韻律となって拡散し、マントラとして導師の口から放たれるのだ。ヒンドゥの儀礼は、このようにして新しい世界=〈ヒト〉が形成されてくる秘密も、密かに解き明かし続けていることだろう。

'Where have we come from? Where will we go?'(われわれは何処から来、そして何処へ行くのか?)

かつて、ヒトが「世界―内―存在」の不安であることに吾に帰らざるを得なかったこの最古の、そして常に最新であるはずの問いが、わたし達すべての心の奥に眠っております。ヒンドゥに限らず、東西の様々な儀礼は、その問いの或る層に働きかけ、わたし達の前にその内部を切り開いて見せるものでした。わたし達が求める吉祥なものものも、そうでない不吉なものも、共に儀礼のその最古の層に横たわっております。そうした儀礼の中で、大きな役割を演じてきたのが音とそれを作り出す楽器だったのです。シタール、法螺、笛、太鼓、歌、雨だれ、鳥の鳴き声、野原の草を揺らす風の囁き、心音、呼吸、どのような音であれ、その中にわたし達がただひとり参入してゆくとき、再び、わたし達が忘れていた、何か大切なものとの出会いがあるかも知れません。

(*1)ガーヤトリー(Gayatri)はリグ・ヴェーダに現れる最古のマントラの一つと考えられており、一般に12音節×3行=36音節の韻律からなる賛歌を指すと説明されている。古くはブラーフマナ(バラモンの師弟が師の元で聖紐を受ける時に最初に伝授されるのがこのガーヤトリーであったという。ガーヤトリーの韻律はそれ自体が神格化され、ガーヤトリーデーヴィー(Gayatri-devi)と呼ばれる美しい女神として人々の崇拝の対象となっている。伝統的なタントラでは更に多くのガーヤトリー・マントラが存在し、筆者が知る限りでは51種類がある。
(*2)インドの伝承医学、アーユル・ヴェーダでは、人間の体液の三状態(vata,pitta,kapha)は昼夜の時間、季節などで変化し循環すると考えられている。病気の際にはこの体液の異常があり、大まかにはこれを制御することがアーユル・ヴェーダの方法論である。
(*3)'The Greatness of Saturn'Svoboda,Rupa&Co.,India 1998.
(*4)拙稿『ディワリ』参照。
(*5)ターンセン(Tansen)は16世紀ムガール(Mogul)帝国の天才宮廷音楽家で、芸術を愛したアクバル帝(Emperor Akbal)強力な庇護を受けた。彼の神的なまでの音楽は、現在に至るまで語り継がれ、彼の系譜に属する音楽家達の大きな誇りとなっている。
(*6)『線香護摩祈祷法』(甑岳聖海=編著 青山社)より。
(*7)タントラでは白色・赤色・黄色・黒色の四種類の法螺の他、左巻き、右巻きの分類をし、その働きに相違があると考えている。傷、穴、汚れのない法螺は吉祥をもたらすが、逆に傷があるものは不吉であるとも言われる。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。