その11 ヨーガ

ヴァーラーナスィーの外れの地区に住む、自称ヨーガの教師のS氏は、自分の写真が印刷された名刺をわたしに差し出し、早口な英語で熱心に「ヨーガ」を教えたい、と語りました。お話を伺うと、なんと彼は二度も日本に招かれて「ヨーガ」を教えたことがあり、来日時の写真も見せてくれました。(わたしは少し記憶を反芻して、吾が邦でヨーガの大御所と呼ばれる方が書かれた本に、彼の名前があったことを想い出しました。)

「カパーラバーティ、トラータカ、ネーティ、ナウリ、ダーゥティ、バスティ、、、、」

彼はこれからわたしに教えるであろう技法の名前を、やはり早口で言うのでした。それらの、シャット・カルマ(shat-karma *1)と呼ばれる行法を実践する人は、吾が邦において、自ら「ヨーガを'する'」と語る人々の中でも、それほど多くないのですが、わたしにとってその幾つかはポピュラーなものでした。結局、わたしはS氏に就いてそうした技法を学ぶことはありませんでした。

その後しばらくして、仲良くなった某書店の若い店主と、たまたまヨーガの話題からS氏の事に及ぶと、

「ああ、彼は本物のヨーギー(ヨーガ行者)ではないよ。彼が出来るのは'体操'だけさ。ああやって、きみらのような観光客に'体操'をヨーガと称して教え、お金を取っているんだ。でも、きみもすでに知っての通り、ヨーガは体操ではないんだ」

と溜息混じりに言いながら、わたしにミルクティーのグラスを差し出すのでした。

こんなやり取りをそこかしこで色々な人々と交わしながら、わたしは、インドの、ごく普通の人々が持つ「ヨーガ」という言葉に対する眼差しが、吾が邦や欧米と違い、非常にスィヴィアーであることを了解しました。実はそうしたインドの人々の態度は、不思議であるより、インドに渡る前のわたしの考えとむしろ一致していたので安心できたのです。

吾が師Maharajも、ヨーガという言葉とその意味内容には、厳しい意見を持っておられ、特に彼らから見た時'体操'にしか見えないものをヨーガと称して売り物にする人々や風潮を一様に嘆いておられました。

「シヴァーナンダよ、よく聴け!!あの連中はなあ、本当はスーリヤ・ナマスカール(Surya-namaskara:太陽神礼拝)くらいしか知らないんだ。」

と言いながら,Maharajは、腕を上に伸ばしたり、その手を合掌したりするスーリヤ・ナマスカールの動作をユーモアたっぷりにして見せました。そして、わたしの顔を見て、

「アンダースターンド?」

と怒鳴るように念を押すのでした。

また、多くの外国人がそうした'体操'をヨーガであるとしてインドに学びに来たという話は、彼らにとっては笑い話以上の何ものではなかったのです。そこで、吾が邦では「ポーズ」と呼ばれる種々のアーサナ(asana)を始めとする外見的なパフォーマンスは、ヨーギーたるものの指標にはならない、というのがMaharajのみならず、ヴァーラーナスィーに住む人々の一般的な認識なのです。

さて、Maharajは、わたしがタントラのヨーガに関わる部分、所謂タントラ・ヨーガ(tantra-yoga)(*2)に強い関心を持っていることを心配しておられたようでした。始めの頃、わたしにヨーガの技法を伝授することを躊躇してもおられたのです。
その理由は何だったのでしょうか。彼の所説によれば、それは、ヨーガが持つ本来的な思想が、じつは極めて世間的ではない、つまり、「出世間」的な性質をその基底に持っているからでした。出世間的な性質とは、インド思想一般の文脈では、生-死、愛-憎、高-低等々の二極を永遠に往復運動する〈苦〉の外部に立つこと、すなわちムクティ(mukti:解脱)へ至る方向性を意味しております。
解脱(げだつ)はヒンドゥにとって最高の目標とされますが、これに対して、人々はアンビヴァレントな感情を伴うスタンスに立っているようにわたしには感じられました。それはどういうことだったでしょうか?ヒンドゥにおいて解脱が意味するところは二種類あるようです。解脱と翻訳される言葉は二つ―――ムクティ(mukti)とモークシャ(moksa)―――があります。
ある朝、プージャ(供養)が終わった後の授業で、わたしはこの同じような意味を持つ二つの言葉の違いについて、Maharajに質問しました。

「Maharaj、ムクティとモークシャの違いは何でしょうか?」

彼は、にやり、と笑って次のように答えて下さいました。

「もし、完全な解脱に没入し、即ち梵と融合した時は、いまわしたちが取っている様なスタイル、梵を対象化する様々なあり方、すなわち甘美な供養や修法もなくなる。でも、わしは個人的には、完全な解脱の直前に留まり、美しい歌をうたい、華を捧げて供養し、'祈りの永遠'に梵の甘さを味わっていたいと思う。

「まるで、蟻がどれだけ砂糖が好きでも、砂糖そのものになってしまったら、もう砂糖の甘さを味わうことは出来ない。この砂糖と蟻が無二無別になってしまうこと、味わわれる者、味わう者、味わう行為の三つの間の境界線がなくなることを、ムクティといい、また仏教徒たちが言うニルヴァーナなのだ。

「ところが、このような解脱、ムクティの一歩前にとどまるあり方をモークシャというのだよ。世間には色々な考え方があるだろうが、わし個人としてはこれからも生き変わり、死に変わりして、梵のはたらきの美を賛美し、供養し、祈り続ける甘美に留まることを望むのだ。」

先にわたしは純粋なヨーガが、熱心な実践者をして必然的に「出世間」へと誘い、解脱(ムクティ)へと赴かせると申し上げました。そして、この解脱(ムクティ)とそれに関わる道としてのヨーガに対して、人々が抱くアンビヴァレントな感情の理由も、いまや明らかになりました。Maharajが、最初はなかなかわたしにヨーガ行法を伝授しなかったのも、そういう理由が根底にあったとわたしは理解しております。
彼らヒンドゥにとって解脱(ムクティ)とは、生死のドラマの終焉という、本来最高の目標でありながらも、そこに至ってしまえば最早じぶんは、梵であるところの世界、その創造と破壊のドラマ、存在のめくるめく光芒と煌めきを賛美することができない、という葛藤でもあるのでした。そこで、彼らは'もう一つの解脱(モークシャ)'を以って、神に対する、存在に対する、自然な〈感情〉を掬い取ろうとした、と言うことが出来そうです(*3)

「お前が何を考え、求めているか、わしは知っている。○○○のことだろう?しかし、外国の奇妙な奴らが頭の中で想像している程、わしが教えるのは甘くないぞ!危険だからな。アンダースターンド!?」

彼の言葉にわたしは頷きました。そして後日、彼はやはり気乗りしない様子で渋々と幾つかの伝授を行ないました。これらの行法の名前すら、訳あって此処では明かすことが出来ません。また、わたしはこれらの口伝行法の半分でも自家薬篭中、自分のものとするのに、一生を費やしても足りないのです。

(*1)シャット・カルマは「六行為」と訳される。タントラのプラヨーガ(修法)にも、息災法を始めとする同名のカテゴリーが存在するが、ここでは、ハタ・ヨーガ(hatha-yoga)の体液をコントロールする作法乃至浄化法を指している。
(*2)タントラ・ヨーガという言葉は、欧米と吾が邦では恐るべき誤解と浅薄な扱いを受け続けており、今やその内実は瀕死の状態にある。タントラ・ヨーガは、吾が邦の自称ヨーガ指導者が無邪気に借用する「ハタ・ヨーガ(hatha-yoga)」と極めて密接な関係を持っている。しかし実際には、ビルの教室でレオタードを着、集団でポーズを取ることは、ハタ・ヨーガとは「関係がない」。ハタ・ヨーガは、本来生命を賭して行なわれる過激な試みであった。また筆者は法流に従いヨーガ・タントラという言葉を使っているが、これはチベット仏教でいう四タントラ中の「ヨーガ・タントラ」の定義と意味範疇が同一ではない。吾が邦の真言密教が依拠する『金剛頂経』、『大日経』は、この「ヨーガ・タントラ」の中に分類されるという。ヒンドゥのヨーガ・タントラとチベットもしくは日本のそれは同一ではないが、実際「よく似ている部分」がある、とだけ指摘して置こう。
(*3)インドにおけるヨーガ思想史は、世間/出世間という二つの境界の間にある分裂の困難を、文字通り合一(ヨーガ)させようとする展開を見せた。つまり、世間的、世俗的な行為、社会的な責任を果たすことに関わることが、'即'ヨーガであり、且つ'祭祀'であり得る道が、真摯に熱望する人達に求められたのである。インドのみならず世界中で広く愛されるヒンドゥ古典『バガヴァッド・ギーター(Bhagavad-gita)』に説かれるこの教説―――カルマ・ヨーガ(karma-yoga:行為のヨーガ)―――は、聖俗一如たるヨーガの究極の形を表現している。以下、その詩節の幾つかを故上村勝彦博士の翻訳に従って引用する(『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦 岩波文庫 1992)。
「いたる所で水が溢れている時、井戸は無用である。同様に、真実を知るバラモンにとって、すべてのヴェーダは無用である。」(Ⅱ.46)
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。」(Ⅱ.47)
「アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。」(Ⅱ.48)

勿論、インド思想史において聖俗の境界を取り払おうとした運動は、ヒンドゥだけに限定されない。周知の如く初期の原始仏教から大乗仏教、そして密教へと展開した歴史がそれだったのである。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。