その10 ディワリ

毎年、ヒンドゥ暦のカールティック月(Karttika;十月~十一月)には、インド各地でディワリ(diwali,dipavali)と呼ばれる大きなお祭りが一斉に行なわれます。Maharajのお孫さん達も、このディワリが近づくにつれてそわそわし始め、「あと何日でディワリだね!」というのが子供達同士の挨拶のようになります。数日間続くこのお祭りの期間は学校、お役所はお休みになり、子供達は、吾が邦のお正月のお年玉のようにお小遣いや普段な滅多に買ってもらえることのないお菓子を貰えるようでした。当日は、ファミリーメンバー達が余所行きの服などを着、奥様方は腕によりをかけてご馳走を作り、人々が会えば互いにお祝いなどを述べ合います(「ア・ハッピー・ニュー・イヤー」ならぬ、「ハッピー・ディワリ!!」という言い方もよく聴かれます)。

このお祭りの最大の特徴は、地方によっても異なるのですが、新月のであるお祭りの当夜、各家の門戸、祭壇や、寺院、聖なる河の河畔に無数の灯明(dipa)を燈して神に供すのです。聖河ガンガーの辺に栄えてきた都であるヴァーラーナスィーでのディワリはまさに壮観でした。夕方になりますとガンガーの岸に沿って数千の灯明が燈され、小さい灯明を載せた葉っぱが、これまた沢山、水面を流れてゆくのが見えます(*1)。この漆黒の闇を背景に、淡いオレンジ色に光る無数の点がゆっくり流れてゆくのを眺めておりますと、数学的に計算されて作られた建物のなかで生活をし、その輪郭に合わせて構成される自分の身体感覚のあり方や、規則正しく時を刻む時計のリズムの中で動いていた自分が、文字通り幻のように揺らめくような気がして我に帰ったりするのでした。

ガンガー沿いに続く大小の沐浴場では、伝統的な衣装を纏ったブラーフマナ達が果物、お香、灯明を捧げつつ信者さんとともにお祈りを捧げます。またこの夜、各聖地に修道の拠点を持つ著名な教師が訪れ、中央のダシャスワメード・ガートで盛大な祭儀を行い、数千人規模の人々がその祝福に預かる為に、或いは見物の為にごった返します。わたしはその晩、ヴェーダ占術師のV氏と彼の友人の三人で、ガンガーの沐浴場沿いをそぞろ歩きでもしようというお誘いを受けておりました。数千の灯明(ディーパ)が、道にそって燈され、上昇する熱風が立ち昇る道すがら、わたし達は殆ど無言で(何故か余り誰も喋ろうとしませんでした)漆黒の闇に浮かぶ灯明を一時間ほど眺めたあと静かに別れ、各々帰路につきました。

kali-puja、ガンガーにて

ディワリは、ヒンドゥにとって最も大切な祭儀の一つですから、吾がアーシュラマでも、同じくプージャが行なわれます。とはいえ、ナヴァ・ラートリのように神々の依り代となる霊媒を使ってアーヴェーシャナ(拙稿『Ⅲ.ナヴァ・ラートリ』註を参照)を行なうというのではなく、Maharajを始め、わたしを含めて3人の他のお弟子さん達も、各々が伝授されたマントラを静かに念誦をしつつ、神や女神のお姿を念想するという落ち着いたものでした。たまにお参りの人が尋ねてくると、ミルクティーでブレイクを取ったりすることもあります。そうした時、神名の由来や、色んな聖地に起こるという不思議な出来事のお話を聞くのはとても和やかな気分になるものでした。夜半、お寺の扉や窓を閉めた後、わたしはMaharajに上階に来るよう言われました。わたし達が登って行く階段には、息子さんが絵の具で書いた可愛らしい足跡が点々と描かれております。ディワリでは、福神であるラクシュミー(吉祥天)が、我が家に入って来易いように、足跡を描くのだそうです。階段で屋上に登ったわたし達は屋上へからガンガーを望む夜景を眺めました。河辺に並べられた無数の灯明はもうすっかり消えていて、辺りは人々の家の窓から零れる僅かな光と街灯の他は、新月の夜の闇に包まれていました。何処から河で、何処からが空なのか判然としない漆黒。しかし、この漆黒は、次第にわたしのなかの色という概念の枠をじわじわと越境してしまうような、すこし不安な気持ちにさせるのでした。わたしはふと、このお祭りが、カーリー・プージャの名前で呼ばれることを想い出しました。カーリー(Kali)はシヴァの奥さんの名前(*2)で、自然(prakriti)の恐ろしい側面を表し、ドゥルガー(Durga)と並んで、圧倒的な信仰を集めているタントラにおける中心的な女神です。カーリーの語は、カーラという言葉を女性形にして作られた言葉です。このカーラは、「時間」という意味と、「黒色、暗黒、暗闇」という二つの主な意味を持っております。このカーリー女神のイコン(聖画)には幾つかのバリエーションがありますが、よく見かけるのは身色が青黒色で、四本ある手はそれぞれ、血の滴るアスラ(阿修羅)の生首、曲刀(これには一つ目が描かれている)を持ち、そして残りの二本の手は施無畏と與願の二つのムドラーを結んで、いつでも祝福を与える用意があることを表しています。更に彼女は、生首を数珠のように連ねて作った首飾りと、肘から下を切断した腕で連ねて作ったスカートをまとい、大きな丸い乳房を顕わにし、腰よりも長い髪の毛は束ねられずに垂らされております。そして、足元に横たわった夫であるシヴァの胸に左足を乗せた彼女は、頭上に上弦の鋭い三日月の飾りをつけています。二つの眼はアスラの血を飲み干した為に血走り、酩酊していて(或いは欲情しているのだという説もあります)、長い舌をだらりと口から垂らしつつ蠱惑的な笑みを浮かべております。背景には、薄暗い空の下に、戦場の炎と煙、無数のアスラの死体、ときに眷属であるダーキニー(Dakini*3)や、ジャッカルのような動物が傍に描かれることもあります。
わたし達の生死流転を支配する時間(カーラ)であり、論理の光のもとでは不可視の暗闇(カーラ)。時間が発生し、また帰滅するこの原初の場には、このような殺戮と血、暴力という供儀が常に行なわれている。〈時間〉が剥き出しの裸身をわたしの前に晒す時、わたしはエロティシズムに満ちた彼女によって、あのアスラのように自我の頭を切断されるだろう。自我に延長の感覚を促し、〈力〉という幻をわたしに与える腕も瞬時に切断され、再生のシンボルである血は彼女によってすべて飲み干されるに違いない。 
 Maharajとわたしは黙ったまま、暫くの間、屋上からガンガーの方向を眺めておりました。数時間前まで、大河にゆらゆらと揺らめいていた無数の灯火も、まるで生まれては帰滅を繰り返す無数の魂(jiva)のように、母なる暗黒であり、大いなる時間―――カーリー―――にすっかり呑み込まれて行ったようでした。

(*1)インドで葉っぱの上に灯明を乗せて河に流すのは、日本各地のお祭りなどでよく行なわれる「精霊流し」の民俗儀礼と関係があるのかも知れない。ところで、このような〈水の上に灯された火〉が云わんとしている事は何だろうか。古来、人は火と水のエナジーや神聖さを讃え続けてきた。また、相反する二つのはたらきの絶妙なバランスが、世界や生を連続させていることを賢人達は知悉していた。様々な古代の行法の目的は、これら二つの極のバランスを様々なレヴェルで調律し、本来反発するその極の間でぎりぎりの融合を果たすかということにある。そうした眼を保ちつつ、何であれ東西の古い聖典、また行法に深く入ってゆくならば、多くの賢人達の智慧が再び命を吹き返すだろう。
(*2)ヒンドゥの三大神とその伴侶の女神の名前は以下の通り。
    ブラフマー(Brahma 梵天)―サラスヴァティー(Sarasvati 弁才天)
    ヴィシュヌ(Vishnu 那羅延天?)―ラクシュミー(Laksmi 吉祥天)
    シヴァ(Shiva 大自在天)―カーリー(Kali)
(*3)ダーキニー(Dakini)の起源由来とその伝播は多く謎である。ダーキニーはヨーギニー(Yogini)と呼ばれることもあり、全部で64人いるカーリーの眷族であるともいう。恐らく彼女はもともとインドの先住民であるドラヴィダ系の女性達、あるいはその中で、自然や動物の霊性と交流しうる信仰の厚い人々であったかも知れない。彼女は墓場に住み、血を好む恐ろしい魔女であると言われ、チベットでは更に広大なそらを飛行するので空行母と呼ばれている(そらは空性のメタファー)。チベット密教では、ダーキニーを扱う行法や思想が高度な展開を見せた。吾が邦に密教が入ってきた後、真言立川流、天皇の即位儀礼、稲荷信仰などと複雑な展開を遂げた。さて、ダーキニーの本体、カーリーは何故、恐ろしい非日常的な姿で描かれるのか。カーリーや彼女の属性を象徴するダーキニーが運動する領域は、恐怖の戦慄と凄まじいエロスの欲望が分かち難く結びつき、整然としたシステムを逸脱してゆく非日常的な危険に満ちている。日常、陽光のもとでは、目に触れないようにしっかりと覆い隠され、速やかに排除されねばならない死体、血液、剥き出しの裸体等々。しかし、わたし達はそこを通してこの世にやって来たのではなかったのか。或いはわたし達がもともと来た道を再び飛び込んで行かずして、世界の源に帰還できるのか。そういうラディカルな内省を、インドやチベットのあるターントリカ達は持っていたに違いない。しかし、もう一つ他の説明の仕方があるように思う。
すなわち、カーリーを始めとするヒンドゥの不思議な神々の起源は、「第三項排除効果」(今村仁司『排除の構造』参照)によって、インドの先住民族であるドラヴィダの民達が、アーリアンの侵攻よる全員一致の暴力と排除をうけた痕跡であると考えられる。ドラヴィダの民の黒い肌、異なる言語や信仰(樹木崇拝、牛や蛇などの動物崇拝、ヨーガ、沐浴)、驚くべき生殖力は、制御不可能なる悪魔的な力であるとして、アーリアン共同体内部の死、血液、宗教的な諸々の不浄を一緒に付託され、外部へと排除され、はじき出されたに違いない。排除されたそれらの徴(しるし)は、180度方向を反転して祀り上げられる祭祀の対象としてアーリアン達の前に姿を表す。そこにおいて、初めて閉じたシステムとしての四姓制度が生まれてきたと考えられる。単純な有機生命体であれ、共同体システムであれ、それが一個のシステムとして稼動する限り、必ずや〈外部〉の存在やそれとの境界を必要条件とする。祭祀という言葉を一般化すれば、〈外部〉=カオスと、〈内部〉=コスモスがソフィスティケートされた形で関わる形式が、祭祀ではなかっただろうか。祀り事は祭り事であり、また政り事である。システム内部において周期的に反復される多くの祭祀または儀式を観察すれば、そこには、何がしか傷つけられ暴力を被った痕跡を残すシンボルが、祭祀の進行を促す重要な要素として見出されようし、その祭祀の遂行のなかに、最初の暴力=システムの起源が見出されると同時に、物語や神話として物語られることによって最初の暴力を隠蔽する両義的な仕組みも埋め込まれてあることに気が付かれるであろう。往々にして祭祀と祭祀者は人々に安心や安定感を与えるが、時間の経過とともに、束の間の安定を見たシステムの中では退廃が起こる。そこでシステムの退廃や崩壊を防ぐための周期的な更新=祭祀が要請されてくる。かくしてふたたび、そこで、ひとは自己や共同体の起源のおぼろげな姿に立ち会うことになる。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。