その1

[プロローグ]

初めまして。shivanandaと申します。もう十年位前になりますが、大学の学園祭で、コースの先輩が発起人となって、火生三昧柴灯護摩を校庭でやったことがあります。そのとき、参加したメンバーは宗派はばらばら〈豊山と智山と天台〉で、品川寺の山主様に山伏問答、宝剣作法等の伝授をして頂いたのですが、一人わたしだけは宗派というものに属していなかったにも拘らず、ちゃっかりその場に居ることを許されました。余り大きくない護摩壇でしたが、沢山の学生や一般人が真剣な面持ちで手を合わせ各々お祈りをし、火渡りをておられたのを想い出しております。良い想い出です。

そんなことくらいしか、表向きにわたしと修験道の接点はないのですが、その後、何年かしてインドのVaranasiで、Bolanath Maharajという方に縁があり、tantraの入門を許可されて半年ほど、そこで口伝されたmantraを日数・数を決めて練習したり、彼や彼のお弟子さん達のprayoga(修法)を見させて頂いたりしました。大いに驚いたのは、日本密教とインドのtantrismの相似性です。挙げるときりがないのですが、例えば、息災法、増益法、敬愛法、調伏法等は、shantikarana、akarshana、vashikarana、marana等々の六法(shat-karma)として、ほぼそっくりそのまままとめられていますし、護摩(homa)においての炉の形も日本に伝わる規定と同じです。もちろん、日本密教もインドからの伝来がもとであるとすれば、驚くことではないのですが…。

  
お祈り中のShivananda
 
早朝のpuja、templeにて。
mantraを唱えつつarghya(アカ)を捧げます。

わたしが他に深く心引かれたのは、彼らtantrika〈日本語の感覚では修験者、祈祷師です〉が、充分自覚的に、庶民の日々の生活の問題や悩みに応えようとしておられたことです。自覚的に、というのは、やはり、彼らが、人々のスタンダードではないマイナーな領域の問題(例えば調伏法とか)も包括して扱わざるをえないこともあって、近所の人々は、つよい恐れと不浄の感覚を抱いています。しかし、彼らは、インド社会で自らそういう不浄と見なされたり、恐ろしがられるポジションに敢えて身をおいて、社会のコスモスを外部から支えることをしっかり認識しています。実際には、わたしがお世話になったtantirkはすべからくジェントルマンでした。

不浄の領域に身を置き、コスモスを聖化する装置として一生を投機し、働いたのは、釈尊しかり、イエスしかりであることを鑑みれば、インドのtantrikやaghori、kapalik〈全裸だったり、髑髏を持って墓場をうろついていたりします〉という特殊な人々も、きっと宗教性のプリミティヴを生きているに違いないと思いますし、勿論、明治以降近代化を進めてきたオーソドックスから、やもすれば排除される傾向をもってきた修験道も同様だろうと思います。

そんなわけで、いわゆる〈雑密〉が持つ可能性というのは、少なくないはずだと思われます。勿論、巷でたくみに装飾された自己顕示欲、物欲の為に悪用する人も多いことは残念です。
(御祈祷ドットコム「密教フォーラム」の書き込みより)

[タントラ王とわたしの出会い]

Shankar Bhavan、(シャンカラ(シヴァ)の家)。カルカッタからシャンティニケータン、シウリー、モンギールと、長い彷徨の後に辿り着いた家の門のナーガリー文字はそう書いてありました。白い大きなクッションが敷かれている部屋に案内され、そこにわたしと案内をしてくれた男性、Laksmishankarさんは腰を下ろしました。

「ところで、お前は何を知りたいんだ?」と彼はわたしに尋ねました。わたしは、「かくかくしかじかの口伝行法と教義について疑問があり、それを知りたいと思って、これまで旅をしてきましたが、なかなか巡り逢えないのです」と心中を述べました。彼は、暫くじっとわたしを見ていましたが、「それなら、俺のファーザーがよく知っているし、俺もそうだ。だから、お前が望むならこれからファーザーに俺も一緒に頼んでやることができる。」 「、、、、、!!!」

わたしが連れて行かれたのは、8畳ほどの広さの部屋でした。沢山の鐘が天井からぶら下がり、奥には小さい、赤と黄色で彩色された祭壇が置かれ、大小の神像がところ狭しと安置されています。その前には、しろいアーサナ(座)のうえに、両足を投げ出している山のように大きな白髪の老人が座っていました。この白髪の老人が、Tantraraja Bolanath Mishra Maharajであり、わたしと彼のの最初の出会いでした。大勢の人達が、その周囲の床に座り込んでいます。彼らはみな、家族や病気や商売の問題で相談しようと集まってきているのでした。わたしは、順番を待っている彼らと一緒に床に座りました。

暫くして、ふいに、Bolanath Maharajは、わたしの方を向いて、「Vah Kaun hei !?(誰だ!!こいつは!?)」と怒鳴るようにヒンディー語で言いました。わたしは、しどろもどろの英語で自己紹介とそこを訪れた理由を話しました。そして、Maharajの息子、Laksmishankarさんが途中、ヒンディー語でMaharajに通訳しているようでした。数十秒、眼鏡の奥で、Maharajの双眸がわたしを射るように見ていましたが、突然、「We will be able to help YOU!!!」と怒鳴るように言い、そしてまた再び、他の相談者の方を向いて話し始めました。

この後すぐ、わたしはこの家(=アーシュラマ、道場)に引っ越してくることになりました。現在では、タントラの他に、仏教に関心のある欧米人も多く滞在するようになりましたが、当時そこは、インド人限定のお寺(というよりも祈祷所)で、英語の看板は出ていませんでしたし、お金のない人は短期間ならば無料で泊まることができ、食事もただ同様でした。

わたしのタントラの入門(tantra-diksha)という儀式はそれから程なくして行われましたが、その前に、古の先生達に供養し、入門の許しを乞うマントラやシュローカ (shloka:頌)を幾つか暗記しました。入門までの数日間のあいだ、わたしはとても不思議な夢を見たので、それをMaharajに話すと、「それは吉祥だ!!」と言って、大きな声で笑っておられました。

 
Bolanath Maharaj
 
RamashankarとShivananda


この入門のイニシエーションは、流派や先生によって若干の差異があるはずですが、考え方はだいたい日本密教の灌頂(abhisheka)と同じで、わたしが受けたのは、ガンガー河のお水を頭頂に潅いでもらい、ムーラ・マントラ (mula-mantra:根本真言)と新しい名前を頂き、その説明を受けるというものでした。それから三日間のあいだに、決まった数のジャパ(japa:念誦)をします。睡眠時間と食事時間の他は自分の部屋で、ふんどし一丁で、ヤントラ(yantra: *1)を前に念誦をします。

これらが済んだ後に、わたしは毎朝晩、お寺のMaharajのもとへノートとペンを持って教えを受けに行きました。「お前、そのノートを誰にも見せてはならんぞ!!」と言いながら、Maharajはわたしの質問にほとんどすべて答えて下さいました。他のお弟子さんの学習法がどんなものなのか分からないのですが、わたしの方法はこうでした。最初にわたしは、これまで不明瞭だった問題、例えば、五摩事(panca-makara *2)や、ハタ・ヨーガ文献に説かれるあるムドラー(mudra:印契 *3)の行法について質問しました。

「お前という奴は!! こういうのは核爆弾の作り方を教えることと同じなのだぞ!!」 質問の内容に関して、しばしば彼はわたしを怒鳴って叱りましたが、それでも大抵、最後には親切に教えて下さいました。日本から持ってきた質問がほぼ氷解すると、わたしは彼が三十年以上前に書かれた著作『Tantrashakti-devasadhana』の分からない部分を片端から質問していきました。これに対しては、Maharajが「三十年間、ここに書かれたことをわしに聞いてきた人間はいないんだよ!!」と嬉しそうに目を細めてわたしを見ておられたことを想い出します。わたしも貪欲に彼の思想を自分の内に取り込んでいきました。また、実に様々なマントラを教わりました。この時期、朝、目覚める前に、様々な疑問に対するヒントの液体が、わたしの頭蓋に注ぎ込まれていることが多くなりました。まるで、寝ているうちにインスピレーションの女神がわたしの頭蓋に涼やかな水を置いていってくれているようでした。わたしは出来るだけそれらをノートに書き写して忘れないようにしました。

朝起きると、ガンガーかお風呂場で沐浴し、自室で教えられた自分専用のプラクティスをした後、わたしと同い年の末っ子、Ramashankarと一緒にアーシュラマの門を開けてお寺を掃除し、祭具をきれいにします。この間、チャイ(ミルク紅茶)をみんなの分、作るのもわたしの仕事でした。そして、彼と一緒に女神や神にプージャ(puja:供養)をします。お花や色のついた粉、お灯明、お香などをお供えしたあと、アーラティー(arati)をします。アーラティーは、簡単にいえば、光のエレメントを炎に見立て、これをお供えするために、灯明をくるくると回しながら陽気で独特なメロディの歌をうたいます。これらが一通り終わる頃に、Maharajが屋上の部屋から降りてきて、再びプージャを始めます。わたしはその時には、彼の足元に座って、マンツーマン授業が始まるのを待ちます。授業が終わるとMaharajはハワナ(havana=火供、護摩)を修します。彼は、何十年も毎朝これを欠かしたことはないそうです。それからわたしは、家族が住んでいるもう一軒の家に行って、奥さん達の特製のカリーとチャパティを頂いたあと、チャイ屋さんでチャイを飲みながらノートをまとめたり、アーシュラマのお手伝いをします。

夕方、また沐浴をしてから自室で呼吸法(pranayama)、プージャ、ジャパ等が終わり、8時頃は晩御飯を奥さん達のお家へ頂きに行きます。そこで小さいお孫さん達と遊んだり、お話をし、食事を頂いてから後、お寺に帰ります。その頃、Maharajは大抵、ひとりで祭壇の横に座って、書き物をしておられました。彼の内側からは、常に新しい女神や神の世界が流出しているようでした。わたしは彼の足元に座り、七十歳を越える(*4)老人とは思えない逞しい、巨大な足をマッサージします。マッサージが一段落すると、彼はわたしに、簡単な問答で理解度のテストをしたり、わたしの新たな質問を訊ねたりします。マントラや行法は夜に伝授されることはありませんでしたし、占星術的に不吉とされる日には、やはり伝授はありませんでした。代わりに、そういうときは、きまって神話のお話をして下さったものです。そして夜の十時過ぎにはお寺の門を閉めてから自分の部屋へ戻る、というのがその頃のわたしの毎日でした。

(*1)ヤントラ(yantra)という語は、主にマシーン(機械)という意味ですが、「神秘的幾何学図形」等の欧米の学者の説明は明らかに表層的です。それをもとに想像力だけで、実際とは異なる意味を捏造して書かれている本が多いので注意が必要だと思います。
(*2)五摩事(panca-makara)は酒・肉・魚・穀物・異性という通常は宗教習慣的にタブーとされる対象と関わることで意識の限界を打ち破ろうとする左道行法であると言われますが、これら各々はすべて行者の内的な感覚の象徴であるという説もあり、わたし個人は後者の立場を取っています。
(*3)タントリスムにおいて、ムドラー(印契)は日本密教でいうところの意味を越えた範疇を持っています。勿論、手指で作る形もムドラーと呼ばれていますが、その他の様々な身体器官、神経の働きを使う場合もあります。
(*4)Maharajはわたしに七十歳と言いましたが、「それはShivanandaをからかっているんだよ。彼、本当は90歳なんだ」と教えてくれた人がいました。

井口賢匠(Shivanada)氏 プロフィール
1969年、新潟県生まれ。大正大学仏教学部卒。専攻梵文学(卒論『三昧についての一考察-Yogasutra第一章三昧品を中心として』)。1988年に観光渡印、1993年、四大仏蹟巡拝。1997年、1999年に各半年間、Uttarapradesh州の古都Varanasiにて、Tantraraja Bolanath  Mishra Maharaj Jiに師事し、Kaula派に入門する。Akhil Bharatiya Tantrika Samaja会員。整体師。埼玉県在住。