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加持祈祷の内的世界

【奪われた加持祈祷】 

 加持祈祷は現実から逃避する仮想世界ではありません。三密観により心中で観じる世界は、現世から過去へ、そして未来へと連なる因果を再構築する超時空です。行者は時間の隙間に術を仕掛け、先達たちによって営々と受け継がれた内証世界を己の深層意識下に強く具現化していきます。 
 密教僧にとっては護摩堂の内陣空間や三密観が祈祷の場となります。対して修験者の祈祷の場は限定された空間や観念にとどまりません。笈を背負い衆生の生活の場での祈祷はごく日常的な事でした。深山幽谷にまでも分け入り、擬死再生による自己浄化を経て神仏との一体化を遂げる独特の修行スタイルや柱源神法に代表される行法を身につけたのです。それだけには留まらず、その加持祈祷の内的世界は、日常の現実空間をも取り込んだ実相世界そのものなのです。

 『義経記』などを読むと、かつての山伏たちは生活に密接した加持祈祷の実践者だった事が分かります。現代も風呂敷護摩などの作法で、施主宅で加持祈祷などが行なわれています。しかし、現代の修験者たちは明治の神仏分離令を受け、修験は天台、真言の何れかへ所属する事を余儀なくされてしまいました。密門は先にあげた風呂敷護摩や柱源神法など一部の行法を吸収した上で、実践祈祷のエクスパートだった山伏たちから祈祷作法を取り上げてしまいました。今では多くの山伏たちは単なる柴燈護摩要因としての用をたすだけに成り下がってしまいました。


【修験ネットワークの痕跡】

 神仏分離以前の修門の修行は、密教とは異なる形態を取っていました。北秋田市の般若院に伝わる古文書類「内館文庫所蔵資料」の奥書を研究した「駒澤大学仏教学部研究紀要53」によれば、江戸期近世の東北の修験者は吉野、熊野での峰行への往路に、幾つかの修験寺院で各種の行法を学んでいた事が分かります。時として九州の彦山にまで足を伸ばしています。当寺に伝わる古文書群の奥書も同様に、歴代の行者達はこの出羽の地から期的に、京都、奈良、四国といった地へ足を運んでいます。験門は、その行法をネットワークというシンクタンクで支え、行者達の研鑚の場としていたのでしょう。こうして、時として行者達は数年にも渡り、全国を行脚していたのです。
 観音、薬師、阿弥陀、と熊野と同じくする三尊を祀る峰々が全国各地に点在しています。これは東北でも例外ではありません。出羽三山をはじめ、多くの三尊信仰が今も伝えられています。この三尊信仰は、熊野の三山写しが行われたとされています。平成18年に、こうしたテーマに則し「熊野信仰と東北」というタイトルで、東北歴史博物館と秋田県立博物館において、企画展が催されました。修験者たちは熊野信仰の掛け橋を果たす過、先述したように験門独特の修行形態を確立させました。しかし、こうした修行形態は、現在では古文書にその痕跡を留めるのみとなってしまいました。



【内証世界再生装置としてのヤマ】

 出羽三山では、観音、薬師、阿弥陀ではなく、 観音(羽黒)、大日(湯殿)、阿弥陀(月山)と 変容した形式となっております。 出羽三山では、こうした三尊を祀る峰々を拝して回る事で、過去、現在、未来という時空を行き来すると説く内証空間が存在します。即ち、三山を巡る事によって、ありありとそれらの世界を観じなければならないのです。この事を羽黒修験では三間三渡と呼んでいます。こうした行者の精神意識は、修験に於けるヤマの存在を考える上で大きな意味を持ってきます。
 ヤマは、修験において地理的に認識するだけの場ではありません。内証世界の再現装置としての機能を果たします。行者はその場に足を踏み入れるまでもなく、ヤマという空間を意識するだけで、己を覚醒させなければなりません。こうした感覚は密教でいう四度加行を行じたり、加持祈祷を何座も修しても得られるものではありません。峰中に身を置いて十界行を修行する事は勿論ですが、日常のすべての存在がヤマに連なるように意識せねばなりません。


【形骸化する峰中行】

 これまで説明してきた意識や感覚は、ただ漠然と峰中行に参加しても得られるものではありません。峰中行の十界修行は、修験の奥儀「柱源神法」に緊密に関わっています。擬死再生の過程で十界を巡り、人の原罪に懺悔し、浄化され肉体を焚焼して、捨身し、自身供養して菩薩の極みに上る・・・ 。その祈祷を構築する運心は、十界修行の世界観そのままと云ってよいものです。 已達となった行者は峰中で、極秘の柱源灌頂を受けていました。
 私は羽黒修験本宗の「秋の峰」に十数回参加しておりますが、峰行自体が出羽三山一帯を舞台にした巨大な柱源神法である事を目の当たりにしています。しかし残念ながら、羽黒には現在、柱源神法は残っておりません。大半の行者たちは作法を知らぬままに参加しているのが現状です。こうした事は、羽黒に限った事ではありません。見聞きした範囲では吉野など他の山でも状況は大差ないものです。山伏と云われる殆どの者は、法螺や法剣や法弓の作法をするのみの採燈護摩要員となるだけで満足しています。これはかつての山伏の姿とは大きくかけ離れるものです。私が一番言いたい事は、それでいいのかという事です。それで本望なのかという事です。
 また日常的に加持祈祷に関わる者の多くは山伏の姿はしていても験門に所属しているとの認識は薄いようです。験門にあっても自分は密教僧であると公言している者すらいます。確かに修験は密教を包含します。修験は神道も包含します。修験は陰陽道も包含します。修験は道教なども包含します。しかし、修験はそのどれでもありません。修験は密教ではありません。修験は神道ではありません。修験は陰陽道や道教ではありません。修験は修験なのです。


そぎ落とされた加持力

 かつてこのサイトで「呪詛というもの」というトピックで書き込みが交わされました。ここでの書き込みのやり取りは呪われたという事に対する相談に端を発したものです。人が他人を呪うことは、日常的によく見られる行為です。悪口や陰口、誹謗中傷、スキャンダルなどはそのいい例です。問題は、呪詛するもされるのも、その人間が根に持ちやすい性質なのか等、心根の善悪が問われる事になります。呪詛は調伏なのですが、加持祈祷において調伏の要素は核をなすものなのです。密教の加行では一般に息災法でなされますが、本来は息災であれ、増益であれ、そして敬愛であれ、実際は調伏の印明を加えねば祈祷になりません。護摩作法でも、焼供の中の投物と息災、増益、敬愛、調伏との間に密接な関係があり、この作法を行わないと、実際は護摩作法として完全な作法とはいえません。
 しかし、こうした作法は現在では口伝となっているらしく、加行程度では伝授されないようです。息災でも例えば病気平癒にはその病巣に対しては調伏になるわけです。増益では商売の競争相手に対する牽制として、敬愛では恋敵にと、考えれば調伏を加味する事は間違った事ではありません。キレイゴトだけで世の中が成り立っていないように、加持祈祷の世界にもそれなりの術があるのです。
 調伏系の要素は、近世に慎重に取り除かれた形跡があります。まずは明治の神仏分離による修験宗の解体により、秘匿された一部をのぞくキワモノの祈祷が姿を消してしまいました。また大戦中に大々的に鬼畜米英(当時の云われ方)に調伏の祈祷を厳修した密門においては、調伏は大戦後は表立って行われる事はなくなっています。おそらく、先述の十八道や護摩などの諸作法に於いても同様に省かれたのではと想像しています。ある意味では、祈りの力がそぎ落とされたといえるかもしれません。


修験の奥義「自然成佛道」

 加持祈祷の次第をなぞり、行に参加するだけでは、験を顕したり修めたりする事にはなりません。あらゆる行を積むにあたりその内証世界をありありと観じなければ意味がありません。峰中に於ける十界の階梯は生起、胎内、胎外、死滅の行儀に呼応します。これらの行儀は柱源神法や(本宗の)線香護摩を修法する際の運心と極めて密接に関連します。その全てをここで詳らかにする事は憚ります。しかし、それでは話しになりませんので羽黒での十界行を例に挙げ説明したいと存じます。
 先述した通り、羽黒の十界行は一連の儀式全てが出羽三山とういう舞台で修する巨大な柱源神法です。長い階段を登ったり、山々を駆け巡ったりする事の何処が加持祈祷なのか一般には分かりにくい事です。羽黒の秋の峰に参加している行者でも十界修行の採燈護摩の部分だけが加持祈祷と考えている者が多いはずです。実際は修行者たちが郷里を離れ修行の峰へ向かう行為からすでに加持祈祷の運心が始まります。験門では峰に帰る事を帰峰といい、死ぬ事を意味します。験門では受戒の際に「帰峰の時に至る迄よく保たん」と誓いますが、これは「死ぬまで戒律は破りません」という意味となります。こうして峰中に入る以前に「死」を意識する事で、「生」への意識が生じることになります。柱源神法ではこうした意識体が法具に象徴的に示されているのですが、羽黒では儀礼を通じて行者自らが体現していく事になります。
 羽黒入りした夜は「笈からがき」と呼ばれる酒宴が催されます。この酒宴は葬式を意味し、娑婆世界との仕切りとなります。こうしてリセットされた行者たちは擬死再生の行へと踏み出していきます。全てを紹介する事は出来ませんが、その内の2~3を例に説明を試みます。まずは峰に分け入る前に梵天をお堂に投げ入れる儀式があります。梵天は男根を、そしてお堂は子宮を表し、授精を意味する儀式となります。梵天が投げ入れられる堂はイザナギとイザナミを合祀しており、これから生死の儀式が進行する暗示ともなっております。この「梵天投入」は生起の行儀であり、柱源神法でいえば閼伽作法に当たるものです。その後、修行の場を荒沢寺に移し、断食の篭り行を行いますが、この際に天井の梁を骨と観想するなど六根供えた五輪五体が形成されていく胎内の行儀が進みます。胎外の行儀は五輪五体の仏身と成り、出峰(出胎)して自身の身を五輪塔に転じ、悟りを得た解脱の境界の獲得を観じるものです。また羽黒の峰中行では出峰の前に山中で行われる採燈護摩が死滅の行儀にあたり、自身を供養する事によ五体が分解して識体がより明確になってゆく境地を観じます。こうした内面世界を峰中に於いて再認識し、垣間見た境地を結びつける事によって生じる運心こそが自然成佛道となる修験の真髄なのです。