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出羽三山を憂う(甑岳聖海)

先日(平成17年1月19日)、山形県の世界遺産育成推進プロジェクトが、出羽三山を世界遺産登録を目指して育成しようという候補地に選んだ。1400年余りにも渡り信仰を集めてきた歴史や自然、伝統文化などが評価されたのだという。
一行者としては複雑な気持ちだ。羽黒を始めとする出羽三山が昔から信仰を集めて来た事は事実である。しかし、明治以降、羽黒では、自らの宗教的歴史や自然が破壊され続けて来たからだ。
明治元年の神仏分離令により、日本各地の修験の霊場において伽藍や仏像が破壊された。出羽三山に於いても例外ではないばかりか、当時最大規模の破壊が繰り広げられた。現在は再建されてはいるが、羽黒町内の荒沢寺や玉川寺は焼き討ちされた史実がある。私が地元で聞いた話だ。ある古老が臨終の際に、「体が焼ける」と苦しみ出した。自分が荒沢寺への付け火を強要された事を明かし、「火を付けた罰だ」と語って息を引き取ったという。
こうした蛮行は、酒田県令として送り込まれた伊藤博文の懐刀・三島通庸の置き土産だったと云われる。庄内が山形県として合併された後、初代県令となった三島は、石造りのモダンな県庁の脇に湯殿山神社を建立、国家神道の権威を誇示した・・・(こんな事を云う学者はいないのだが)。山形市内には自分を祭神として祀った三島神社まで存在する。
以来、羽黒では神仏習合の神道化が進み、古来からの修験が表舞台から消えた。羽黒の宗教儀礼維持の為とは云え、神道の山伏は、私にとってはカミングアウト的存在でしかない。御仏や権現の名を冠していた、門前や参道の多くのお堂は神社に変わってしまった。
自然破壊の象徴は、観光道路と化している羽黒山頂へと続く県道だ。観光を否定している訳ではないが、昔の行者道を跨ぎ、あたりに排気ガスを振り撒きブナ林を縦断する舗装道路は醜悪である。山頂へせっせと観光客を運ぶ道路は、深山峡谷に分け入り、自然に神仏を観想してきた修験の思想とは異なる。数年前に荒沢寺境内の一部を削って拡幅しようとした県道建設の際に、荒沢寺の山伏たちが、反対運動を繰り広げた事が思い出される。参道の老杉が年々樹勢を失いつつあるだけに、羽黒を含め出羽三山に何を求めるか、世界遺産登録に何を求めているのか、その思想を問いたい。
熊野参道が世界遺産登録を果した背景には、辺境の山中の故かもしれないが、古来からの変わらぬ姿が継承されている点が大きいのではないか。賛否両論があるにしても女人結界が守られ、古からの信仰形態も姿を留めている。羽黒はと云えば・・・否である。羽黒は神仏分離に伴う宗教破壊の文化遺産だ。そういう意味では貴重な存在といえる。
まずは修験の何たるかを学び直さねば、真の出羽三山の姿は見えまい。歴史を展示する町の施設が参道入口近くにあるのだが、展示ブースの修験資料は、現在の神道系の装束である。この施設のチグハグさもまた、宗教破壊のシンボルとも云える。
ともあれ、山形県の世界遺産育成推進プロジェクトの選定を機会に、修験の本当の姿に少しでもスポットが当たる事を祈るばかりである。