宗教法人への道(その九)

宗教法人を取得するには規約、収支、財産目録、活動記録などの必要書類を整える事が必要となります。しかし、一番、大事なのは、宗教法人となる必然性です。それにはどの様な背景でどのような活動を行い、そして何をしようとしているのか明確にしなければなりません。そのために活動報告書は説得力が伴なうものでなければなりません。幸い私は、十年間にわたり地域の登山行事に参加し、山頂での祈祷を行なっていました。
春夏2回、合わせて20回分の記録写真が残っていたのです。これに自坊で行っている年間行事、伝法や得度などの写真を添え、かなりの活動記録を整える事が出来ました。



宗教法人への道(その八)

餅は餅屋という言葉がありますが、探し出した行政書士は正に的を射た人物でした。山形市にある神社が重要文化財に指定されたのですが、修繕などの維持管理が経済的に難しいという事で、宗教法人を取得したのです。その申請を引き受け、認可を取ったのが彼だったのです。既に申請内容や提出資料に何が必要か知っている事、そして行政担当者との折衝を体験している事、宗教法人法について知識がある事など様々なノウハウを持っていたのです。やはり地元の行政にパイプを持ち、その自治体ならではの慣例に明るい人物でなければ、宗教法人の申請を扱えません。なにせ、宗教法人に関しては、申請を出来るだけ出させない、受け付けないようにするのが行政側の姿勢だからです。


宗教法人への道(その七)

最初に雇った司法書士が逃げた。その後、彼が何度か足を運んだ行政の無作為的な対応に自信を無くしたらしい。情けない話ではあるが、こういう筋書きが行政側の狙いの一つだ。負けてなるものか。早速、山形県村山総合支庁の地域振興課に出向き、次の様に訪ねた。「ここ一、二年、宗教法人が設立された例はありますか?」。それに対し、担当はしぶしぶ「あります」と答えた。こんな奴ら(失礼)を相手に、見事、仕事を成し遂げた司法書士か行政書士がいたのだ。そいつにお願いしよう…。「担当したのは司法書士ですか、行政書士ですか、それとも弁護士でしたか?」という質問に、呆れた答えが返ってきた。「答えられません!」。無作為丸見えだ。こんな奴ら(失礼)に税金を払っていたのだ。県民として情けない。


宗教法人への道(その六)

「いやぁ・・・、般若心経は奥が深いですなぁ」と、語るその人物の顔をまじまじと見入ってしまった。さる御本山に一週間の講習に出かけ、大変ありがたい僧階を頂いたそうだ。挙句の果てには、宗教法人の税制上のメリットを永延と語り始めた。心配だったら合資会社を設立さればよいなどと訳の分からない事を言う。案内された境内には大きな納骨堂があり、無数の位牌が安置されていた。般若心経も満足に読めない男が、供養を仕切れるのだろうか。「坊主を雇う」から心配ないそうだ。「全国に信者がいますから、葬式をやってもらえませんかね」などと、もはや言う事は呆れるばかり。身分を隠して、京都から同行を願った行政書士が囁いた。「けしからん・・・」。宗教法人って、こんなヤツもやって行けるのか・・・。情けない思いをした。


宗教法人への道(その五)

宗教法人の末寺株を2,000万円で販売すると持ちかけてきた男がいる。H県にあるその寺は単立の宗教法人を取得しており、全国に末寺として宗教法人を設立する事が出来るのだという。この寺を調べてみると、確かにH県から認可を受けた宗教法人ではあるが、県境を越えて宗教法人を設立出来る文部科学省の管轄とはなっていない事が分かった。H県外に任意に宗教法人を設立出来る事は不可能なはずだ。その点を問い質すと、規約で県外に末寺を設立する事が出来ると決めており、その規約を兵庫県が認可している以上、問題ないという答えだ。既に全国の医療機関などが末寺株を購入しており、老人ホームを経営する為に宗教法人を利用しているそうだ。または節税(?)対策で購入を検討している会社もあるという。更に調べてみると、その寺は3億数千万円で、ネット上で販売されていた物件で、男は購入者だったのだ。京都でのオフ会がてら、H県の寺を訪ねてみる事にした。宗教を売り物にする男とはどの様な人物なのであろうか。


宗教法人への道(その四)

宗教法人は闇で売買されている。2年程前まではインターネット上で、不動産と同じく医療法人や社会福祉法人、そして宗教法人を公然と売買するサイトが存在する。試しに「宗教法人売買」とでもキーワードを打ち込み検索してみるといい。その筋のサイトが2~3引っかってくる。今でも宗教法人は広大な土地、建物付きの場合がほとんどである事からその価格はハンパではない。取引価格が億は越えるるものも珍しくない。3千万円位なら破格値と言ってよいかもしれない。当時、あきれながらPCで価格表を覗いていたものだが、そんな中、インターネットでコンタクトしてきた人物がいた。宗教法人を売物にしているブローカーだった。


宗教法人への道(その三)

私はこれまで色々な団体や個人と関わってた。最初に接触した宗教法人は大阪にあるF教会だった。醍醐系だったこの法人は、主催者が素人という事もあるが、本山から独立した為、その法軌の一切を失っていた。加持祈祷を学びたいと当地まで主催者夫婦が学びに来た。主催者の男性は、易者で食品会社の経営者でもあった。教えるうちに、当家の法流を全国に広めたいので役員になってもらいとの打診を受け、大阪に出向く事になった。信者は私が焚く護摩の火に深く頭を垂れる熱心な者ばかりだった。結局、この教団とは行に対する見解の相違から袂を分かつ事になった。しかしその後、末期ガンだという信者の一人がどうしても祈祷を受けたいという事で、再び大阪に出向く事になった。そこで私はとんでもない事を知った。F教会の主宰者から、先祖と亡くなった息子さんの供養代として200万円もの大金をとられていた。あの男は供養の仕方など知らないのに。更に私が大阪に出向いた際に、私の宿泊代とタクシー代として30万円を支払っていた。また更に、主催者の会社の経営が危ういという事で200万円を無心されてもいた。その他、何やかんやとF教会は末期ガンの患者から総計数百万円もむしり取っていたのだ。頭に来た私は宿泊先のホテルから抗議の電話をした。その余りの激怒ぶりに、先方はたまらず着信拒否の設定をする程だった。F教会というよりは、主催者の人間性の問題だと思うが…。当家の行法を商売に使われる事を辛うじて免れた思いがした。


宗教法人への道(そのニ)

私が担当者から繰り返し言われた事は「宗教法人にならなくても宗教活動は出来る」と云うことであった。「手続きは大変だし、年度末に報告義務は生じるし、かえって宗教法人を取得しない方が良いのでは」と云う。「あまりメリットはありませんよ」とまで云う。どうやら宗教法人取得の意思を打ち砕こうという意図らしい。
確かに私だけの代だけで宗教活動を終えるあれば、煩雑な事務処理などは出来れば避けたい処だ。しかし、弟子も出来、その弟子たちも更に弟子が出来始めている現状を考えると、後世に法流をきちんとした形で残す必要がある。そうしなければ、学ぶ者達への責任が取れないではないか。廃仏棄釈で寺が無くなってはいても、当寺は大化四年(684年)以来の歴史がある。お役所がある遥か以前よりこちらは宗教活動を行って来たのだ。この法燈を消すわけにはいかない。
押し問答にも似たやり取りを繰り広げ、やっと「それでは書類の提出を」という言葉を得られたのはおよそ一時間後だった。ただし「許可出来るかどうかは分かりませんが」と釘を刺された…(続く)


宗教法人への道(その一)

宗教法人を取得を決意した。その理由としてはいくつかあるが、家伝の宗教作法を後世に確実に残したいという思いからである。また祈りを実践する上で、公益法人ともなればその社会的役割や存在意義も違ってくる。病院経営に携わっている羽黒の行仲間がいるが、医療や福祉現場での死に対するターミナルケアの必要性を指摘していた。必ずしもという訳ではないが、日本の現代社会において、真空地帯の様になっている宗教に真剣に向いあうにも、宗教法人めざそうと思い立った次第だ。
平成15年5月30日、私は知り合いの司法書士とともに、宗教法人の手続きの窓口である山形県村山総合支庁の地域振興課に出向いた。当時は白装束軍団など正体不明な怪しげな集団がマスコミの話題となり、このままではかつてのオウムの例ではないが、宗教法人に対する規制がますます強くなるのではないかとの焦りがあった。先ずは、少しでも早く宗教法人の取得の意思を行政に示す事が必要であろうと思った。
担当者には電話で、予め当方の目的を告げアポイントを取っていたが、その対応には唖然とさせるものがあった…(続く)